ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

雨の一日

 水曜日は、午前中から雨が降り始め、気温が少しずつ下がっていった。ネットスーパーや宅配便、食品配達の人たちもそれぞれ肩口を湿らせてやってきた。タオルをお使いになるかと尋ねてみるものの、いや、大丈夫ですと一様に謝絶される。まあ、一般家庭のタオルなど、よそのうちのお母さんがむすんだにぎりめし程度には距離を置きたいものかもしれない。わたしは、家庭教師でいろんなおうちでおむすびを出されてはなんの考えもなくおいしくいただいてきたので、自分のうちの人以外が触れたおむすびは、市販のものを除いて食べないという気持ちをしばらくわからずにいた。また、遠慮ということもある。差し出されたタオルで雨粒を払ったら、そのあと、そのタオルは洗濯されるだろうからその手間を掛けるのは忍びないという、遠慮。

 九州から恵比寿南瓜と饅頭が届く予定だったけど、遅くなりそうなので受取は木曜に回した。饅頭を蒸かして、夕餉の主食に据えようという目論見は潰えて、17時過ぎてから、30分浸水の倍速モードでめしを炊いた。うちの松下製のIH炊飯ジャーは20年選手で内釜は2個目だけど、やるときはやる、頼りになるひとなのである。

 おかずは、人参と鶏肉、蒟蒻、万願寺唐辛子、小松菜を煮合わせた。すでによい年なので、塩気を加えるときは、つい臆病になる。醤油がなかなか減らない。これに対して、塩は、胡瓜を塩もみしたり、青菜を茹でたりするので、順調に減っていく。調理だけでなく、茶渋など付いたら粗塩を少し振って水をごく少量加えて擦れば、重曹を出すまでもなくきれいになる。なんやかや並べて夕餉を済ませたあと、柿とプリンを食べた。柿は、2個届いたうちの1個が熟柿だったので、慎重に割って、スプーンで掬うようにして食べた。おいしかった。のちに、パウンドケーキと梨も食べた。梨はひとり1個ずつ。さきほどよい年と書いたが、年齢の割には、野菜や果物をたくさん摂る。

 前の長期入院時、ついに病棟の外に出てはいけないと主治医からいわれてしまった。病棟内にシアトル系コーヒーの店や大きな売店はあった。しかし、売られている果物は、カットされて皮を剥かれたごく少量のもので、それが小さな林檎半個分で200円くらいする。大学医学部の附属病院だったから、敷地内には学生さんのためのコンビニエンスストアが幾つもあり、そのひとつでは林檎や蜜柑が安価に売られていた。でも、病棟を出て歩いて3分で着けるそのコンビニエンスストアにすら、わたしは出掛けることを禁じられていた。林檎や蜜柑が食べられないからといって、ただちに健康を害するほどわたしは繊細ではないし、そもそもすでに健康を害しているからこそ長期入院を余儀なくされているわけだが、それにしても、林檎や蜜柑が恋しかった。以来、退院してからも、点滴療法や目の手術などで何回も短期の入院を繰り返したが、いつも生野菜と小さな瓶に入ったドレッシング、果物や果汁を数種、忘れずに持参するように心懸けていた。肌着は足りなくなったら売店で買い足せばいいが、なまの果物はなかなか手に入らないから。

 零時過ぎに塒に入った。前の晩に果実酒を炭酸水で割ったのを飲んで寝たけれど、今度は炭酸水だけ。静かな夜で、寝しなに机に向かっていたら、炭酸の抜けるしゅうしゅうという音が大きく聞こえた。

 ……ほどほどよく眠れた。

 

シュンポシオン(新潮文庫)

シュンポシオン(新潮文庫)

 

  1988年に文庫本が出たというけれど、手に取ったことはない。わたしがもっているのは、古本屋さんで買った単行本。

 

我らが少女A

我らが少女A

 

  富山の走るお兄様のご紹介で。映画『マークスの山』では、合田雄一郎を中井貴一さんが演じていて、森義孝は西島秀俊さんだった。1995年公開。