牛の胃スヌードで糸をチャコールに切り替えてまもなく、へんな具合に掬い目を拗らせて、編み地に目立つほどの穴が生じてしまった。それをなにを思ったか、緑の糸で綴じてみて、でも、やはり目立ちすぎて、周回ごとになんとかしなければという気持ちが募っていった。それでもしばらくは辛抱していたのだけど、チャコール15段目ぐらいに及んで、とうとう毛糸玉の反対側から糸をとって緑の糸と入れ替えて綴じてしまった。
こればかりに限ったことでもないけど、針仕事や編み物をする人には伝わりやすいだろうが、ふとした一瞬の過ちが、その後に大きく響くといったことが手作業にも起こる。いや、もう、頻発するといってもいいだろう。たとえば、清氏の随筆にもあるように、上手に縫い上げたと内心鼻高々になっていると、糸の裾を結ばなかったばかりに、するりと布から糸が滑って離れることなどが、その代表例だ。
賽の目はともかく、治水も山門関係も、表立っては関わらなくて済んでいた昔の女性たちが、財を傾け、ときには頭を寄せ合って苦心していたのが、重ねの色目や染めや繍いだったのは、いったいどんな心の動きから生じた営為だったのだろう。