テーマを決めた美術展や、ドイツなどによくある絵画館を見て回るときにいつも思うのは、こうした美術品が、「いま」「このように」壁に、あるいは囲いの中に展示されているのは、品々にとっては不自然なことではないかということだ。人工の美術品を眺めていて、自然も不自然もないといわれればそれまでだけど、だいたいの絵や彫刻は、「一堂に会する」ことをそもそも予定してつくられた作品ではないでしょう。だから、目移りもするし、混乱もする。
「浮世絵」と、いまわたしたちが呼んでいるものにしたって同じことである。大首絵を大事にもってかえって、いいねえきれいだねえとみんなで語りながら眺める。また、田舎から都会や名所への移動が社会的にも経済的にも不自由な時期に、一生見ることのない東海道五十三次の名所の摺ったのをやはり大切に大切にとっておく。そのとき、絵は、コレクションではなく、単体として崇められる。
何百枚もの浮世絵を駆け足で眺めた一昨日の朝、展示室の真ん中の腰掛けで休みながら、そんなことを考えた。