ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

自分も自分を責めるということ

 小鳥の毛引きという語をツイッターのタイムラインで見掛けて、人間の抜毛について考えた。抜毛は、「ぬけげ」ではなく、「ばつもう」。自らの頭髪を抜くのを繰り返す行為をいう。何らかのストレスを感じた人がこの抜毛を行うらしい。

 何らかのストレスを感じた時点で、心身のいずれか又は両方が傷ついているのに、その上、あえて自らの頭髪を引き抜き、頭皮を傷付ける。いわゆる自傷行為の一部といってよいと思うけれど、現在の正式な診断基準ではどういう位置付けになっているのだろうか。

 抜毛もそうだけれど、周りから明示的に責められ(たと感じ)たり、遺棄され(たと感じ)たり、そういうとき、ある種の人間は、自分を責めたり切り捨てたりした人間に同調ないし迎合するため、自分を痛め付けなければと思い込むのかもしれない。それが抜毛であったり、刃物で皮膚を切ったり、際限なく過去の出来事を反芻して自分を責めたりする行為として現れる。

 それらの行為は、人間の脳が自ら作り出した陥穽に嵌まったときに繰り返されるものだから、入り口のところでやめておくに越したことはない。

 とか、つらつら思い出したり綴ったり。

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一乗寺恵文社さんでみつけた賽。