ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

それぞれ折り合いをつけながら

 吉野朔実さんが亡くなって、丸4年が過ぎた。隔月刊だったFlowersに連載されていた作品から彼女の読者になり、旧作を文庫版で読んで、『period』を単行本で追っていった。同作は、思慮深く成績のよい兄と、破滅的で頭のいい弟が、ふたりきりでなんとか幼い時期を抜けて大人になるまで生き残るものがたりで、ずいぶん長い期間にわたって刊行された。これを素直に読むのか、それともなにかしらのメッセージを受け取ろうとするのか、それは読者の自由だけど。

 週末、同じ作者の『瞳子』を読み返して、過剰や不足を自分や周囲にたとえ感じていたとしても、生きる以上はそれらを遣り過ごして、なるべく周りにご心配をお掛けしたり不快感を覚えさせたりすることなく、機嫌良さそうに過ごすのも、また、藝のうちかなと感じた。どうしてそう感じたのか。それは、登場人物たちが、それから何十年か生きたとしても、すごく幸せにならないことをうっすらと知っているからかもしれない。

 瞳子は、大学を卒業したあと、たまにアルバイトをする以外は実家住まいで、院に進学した高校の同級生や、浪人留年を繰り返したりしている高校の同級生とコーヒーを飲んだりレコードを聴いたりして過ごしている。彼女の母親が少女時代に空襲に遭ったりしたのに引き換え、同級生の母親は田舎の大きな家で戦時中は食べ物に不自由しなかったりしたという会話から、瞳子は吉野さんと同じく、1960年辺りの生まれのように思える。だから、1985年ごろの東京の郊外住宅地の空気が作品からはぼんやりと優しく漂ってくる。

 この作品そのものは20世紀の終わりに雑誌掲載されて単行本にまとめられたものではある。でも、作中に描かれた、1960年ごろに生まれて、2020年に還暦を迎える人たちは、豊かなサブカルチャーの花束を享受することこそあれ、経済の担い手としてはそれまでのようにうまいめしに恵まれてきたわけではない。瞳子は、そのうち、誰かいい相手を見つけて実家を出たかもしれないし、森島は、わりと早い時期に、非常勤講師の口を見つけたかもしれない。天王台だって、実家はなんだか不動産もちの雰囲気があるから、なんのかんのといって3人のうちではいちばん安定しているかも。でも、大変だろう。

 わたしも大変だけど、もうしばらくは、と思った次第。

 

瞳子(とうこ) (ビッグコミックス)

瞳子(とうこ) (ビッグコミックス)

 

 

 

period(2) (IKKI COMIX)

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