ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

異なる心で同じ痛みを感じるのは

 はてなハイク由来のネットともだちのブログがいくつかあります。いずれも深いご見識に基づいたゆかしいものです。そのひとつの最近のエントリを拝読して考えたことを以下に走り書きします:

 そのエントリには、今般のCOVID-19の感染拡大に伴って受ける影響が、より弱い者には選択肢が少ないがゆえにより大きく、そうでもない者にはたとえば混んだ電車に乗らないとか繁華な場所で働かないなどといった選択肢が幾つも与えられているゆえに、この伝染病蔓延の影響は比較的小さいものであろうことが論じられていた。

 もっともわかりやすい例のひとつが、何百人に1個しか水道の蛇口のない難民キャンプで生活せざるを得ないことだろう。ほぼ身ひとつで離れた町には、政治的又は宗教的理由等でもう戻れない。かといってもっと安全で確実に清潔な次の落ち着き先は、まだ見つけられない。そこでCOVID-19をはじめとする病への感染や飢え、渇き、暴力や不条理を恐れながら堪えながら日々を送るよりほかないのだ。

 いや、日本の国内にも、医療従事者、介護従事者、ごみを集めたりし尿を処理する人、不特定多数の人に日々接する商業従事者、学校の先生、職員さん、そして、日々通勤して働く多くの人々等等がいる。内心の望むと望まざるとに関わらず、皆の生活を支えるために毎日、自宅のドアを出てくださる皆さんに感謝は尽きない。「異なる心で同じ痛みを」等量の重みで感じることは難しいので、恐れや煩わしさや不便さを想像するよりもありがたさを忘れないようにしたい。

 そのあとで、わたしも自分のことを付け加えて述べよう。いま、病気の症状を抑えるために自分の免疫力を下げる薬を服用している。おそらく、今後、ステロイド剤の量は多少は減ったとしても、残り2種類の免疫抑制剤は、生きている限り、のみつづけるようだ。だから、前にも書いたように、わたしはふつうの皆がふつうの粘着テープならば強力な粘着テープのように、細菌やウイルスを自分の身体にくっつける虞れがある。そして、実際になにかに感染した場合、発症の前後に家族にそれを感染させる可能性がある。COVID-19も例外ではない。

 家族は、週に何度か電車で職場に通う。その職場には、同僚の皆さんがいる。なかには家族と同居の人も。そうして、わたしは、東京や近県に住まう、名もしらない高齢者やわたしと同じように免疫力の低い人たちと繋がっている。わたしの家族の同僚や通勤途上で行き会う人、その人たちの家族を感染させないために、もう、できるだけ、家にいることに努める。それしかできない。

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夏なのにのど飴が手放せない

 

 冷房と併用で回している扇風機のせいかもしれない。