ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

朝からきりきり机に向かっていた

 ここ数日というもの、とても機嫌が悪く、その半分の理由は諸々の締切やガタガタ他の騒音、暑熱の厳しさによるものと分かっているけれど、残りの半分がどうにも解析不能の不愉快さの塊であったので、まず自分がつらかった。中年特有の不定愁訴というのとも、これはまたかなり違うと思う。

 このままではますます駄目な感じになってしまいそうなので、26日は7時半に机に向かって午後半ばまで昼食抜きで働いてみた。ふだんならまず眼をはじめとする身体の調子を慮って、1時間に少しずつは休みをいれるけれど、今回はそれすらしない。やがてフローの状態に入って仕事がどうにか仕上がると、やや気分もよくなった。

 ひとつひとつしか片付かないし、ときにはそのひとつすら骨を折るのだなあと当たり前のことを考える。

 

  「オメガバース」という、あるジャンルの特殊設定について、詳しい人に教えていただいたり、自分で調べたりして、その過程で上掲の作品を読んでみた。門地以上に、体質と性が社会的身分をあらかじめ決定するという、いわゆるディストピアもので、その主人公は、自ら生まれ落ちた世界の枠構造を破壊することを潜在的に選択し得る。M.アトウッド『侍女の物語』の主人公が、受胎可能な女性であることを新たな国家体制に利用されて、家族を、身体の自由を、財産を、性的な自由を、尊厳を奪われ続けるのとは対照的に、『オメガ・メガエラ』の第三夫人は「優良種」であるαの養子を庇護することで、第二夫人に昇格する。でも、結局は、同じことなのかもしれない。

 制度は、人からなにかを剥奪せずにはいられないのだ。