ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

癰の戻り

 また、下半身のある部分が腫れた。微妙に前回とは異なる位置で、一旦小さく排膿したものの、また腫れ上がり、ある深夜、大きく崩れた。崩れる前の数時間は、椅子に腰を下ろしているのも耐えがたいほど腫れた部分がなにかに当たって痛かったので、ほぼ寝たきりで、お医者さんで切開してもらったら、などと言われていた。

 癰が、その粘膜とふつうの皮膚のあわいにではなく、皮膚の上に生じたときのことを書いたことがあるだろうか。鄙びた海沿いの街の皮膚科医は、へえタコノスイダシなんてまだ売っているのと笑いながら、液体窒素を当てて患部を穿刺した。タコノスイダシのほうが非観血的でよりましに思えた野戦病院的な手技だった。

 わたし、若い頃は、必ずといっていいほど夏の終わりには不眠になっていたものだけど、このごろは発生不可避といっていいほど癰に苦しむようになった。とまれ、足が攣るのも癰が大きくなるのも、痛みのさなかにあっては生きていることの苦を思うけれど、不眠とそれにつづくdepressionに比べると、内からくる暴力のうちでは、まだましな感じだ。

 

応天の門 8巻: バンチコミックス

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応天の門 9巻: バンチコミックス

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応天の門 10巻: バンチコミックス

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応天の門 11巻: バンチコミックス

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 ウイグルから渤海経由で連れてこられた大きな男が、道真に、鞘とは家であり、それを離れた刀は錆びてしまうしかないと言い残す場面がある。業平や長谷雄、白梅といったいつもの顔ぶれだけでなく、唐の宦官だった寧さま、志を得ずに都を去る文章生、そしてこのウイグルの人のような道真の人生の時間をほんの瞬間、共有するたくさんのいのちが、現れては消える。