ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

耳を洗っても洗っても

 西炯子さんの短編に、『光る南国の魚』という作品がある。海辺の温泉のホテルに、地元の高校に通う男の子がアルバイトに雇われる。そのホテルは、たとえば会社員の慰安旅行などの団体客を受け容れる感じの宿だ。同じホテルに、外国からきたと思しき若い女性がいる。宿泊客でもないし、厨房にいるけれども調理員でもない。もしかして、級友と語らった、あのサービスの要員なのではないか、と男の子は考えるのだが……。

 

 温泉町という場が、日常を離れた空間であり、金を媒にしてある種の快楽を得られる場所として機能してきたことは、わりとよく知られていると思う。冒頭に挙げた作品で異国のお姉さんが宴会で果たした役を、『セックス・アンド・ザ・シティ』のサマンサは自らパートナーのために演じて(それはふたりきりのときで用いたのも刺身じゃなくて鮨だったような気がするけれど)、そこまでしなくていいのにと苦笑されて我に返って彼と別れたのだった。サマンサの彼は受け容れなかったけど、そしてそもそも人体を刺身皿や舟盛りの舟の代わりにするのは倒錯しているのだけど、かつてわが国の一部にはそういう需要が存在したのだ。

 さて、このエントリで何が書きたかったのかというと、温泉町がそういう場であったことを踏まえつつ、2018年と2019年、大分県別府市に3回、愛媛県松山市道後温泉)に1回、山口県山口市湯田温泉)に1回、宿泊したけれども、なぜかいま話題になっているキャラクタ群をみた覚えがないということなど。もし、しっかりとみていれば、きっと記憶に残っているだろうし、このブログでないにしろ、おそらく自分の日記には書いたことだろう。キャラクタの絵柄とか設定(デフォルトか後付けか)とか著作者の名義とか役所や大企業の後援・協賛など、いくつか論じる点もあるようだが、わたしは、まず、心ある幾たりもの人がこれらのキャラクタ群とキャンペーンに抱いた危うさを共有しようと思う。

 観光地の人寄せの手法として、女色を前面に押し出すというのは、もうね。

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