タイトルのようにはさすがに考えないけれど、とにかく快楽を味わうことに罪悪感を覚える今日このごろである。それぞれの国のありかたや国民としてのとりどりの選択の積み重ねに多少の違いはあれど、なるべくおいしいものを食べたい/たべさせたい、贅沢でなくても身ぎれいに装い/装わせたい、清潔に乾いた寝床で適度に湿った空気の中で安全に眠りたいという、生き物としての人間の欲望に違いはないだろう。
安寧を求める人間としての当然の求めが斥けられる。それを回復するために、命懸けで戦おうとする人たちに、危ないからいまはともかく命大事にとはいえない。戦えと言えないのと同じくらいに、その反対を強いることはできない。
そこにも無力感が生まれる余地があるけれど、戦うか降るかを決めるのは、わたしたちじゃないから。決めるのは、ウクライナのひとりひとりだから。