ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

体力という目に見えにくいもの

 およそ2ヶ月に1回のD大学医学部附属病院への通院は、今回も無事に終わった。わたしの主病の自己免疫系の疾患は、外見からはほぼ分からないもので、数次にわたる長期入院中は、婉曲に、あるいは直截に、「すごく元気そうにみえるのに、ほんとうに病気なのか。」と入院患者からしばしば言われたものだ。わずらわしいので、病気なんでしょきっと、と軽くスルーしてばかりいたが、あれはよくなかった。

 ともかく、行って帰って家に帰ってからも雑事にかまけていたら、さすがに疲れが出た。このごろの高温と、戻り梅雨めいた多雨と多湿で身体が弱っていたところに、ふだん碌に外を歩かない人間が5000歩ぐらいあちらに行きこちらに向かいするものだから、情けないことに足に筋肉痛が出てしまう始末。金曜は家でおとなしくしていたものの、都下八王子市とか千葉県成田市とかに週に4、5回通って働いていた時期が自分にあるとは、もはや信じられない。薬で抑えているのは免疫力だが、そのために外に出ていろいろ感染しないようになるべく家にいるべきという生活を十年ぐらい続けていると、筋力が覿面に弱る。電車はともかく、バスの車内でまっすぐに立ち続けているための背骨を支える筋力に特に自信がない。

 ふらついて危ないというので、病院の行き帰りに家族が車代を出してくれている。それは家計費と一緒にくれるので、いまでもありがたく受け取っているが、実は、数年前からわたしはタクシーではなく、バスと一部電車で通院をしている。D大学医学部附属病院とわたしの自宅は、片道でちょうど5000円、往復で10000円のタクシー代が掛かる距離にある。確定申告で多少還付されることもないではないが、都営バスの1日乗車券ならば500円で済むのである。それでも、定期通院が始まって1年余りの間は、足と肺に問題があるために、タクシーのお世話になっていた。それが、行きはタクシーでも帰りはバスにしたり、電車を使ったりしているうちに、だんだんと全行程バスのみ又はバス+電車で済ませられるようになった。

 これについては、わたしの人生では珍しく、ちょっとがんばった事柄に数えることができるだろう。

 通院の交通費の額は、その時期のわたしの体力を如実に反映している。血液検査の結果に出てくる、筋肉の崩れっぷりとか肺の弱りかたとか身体の汚染具合は、医療者ではないわたしの頭には即座に響いてこない。でも、通院頻度が2週に1回のとき、病院に通うために月に20000円かかっていたタクシー代が次第に少なくなり、やがてゼロになっていくのは、把握しやすい。体力の戻り方が、日本円という単位で「見える」化されたともいえる。

 

 やっと読めた。平城京を築くのに、難波潟に住む海の民がおおいに働くという気持ちのよい書きぶりで始まったが、おしまいのほうは歴史の漆黒の闇にあたらしいみやこもろともみんな呑み込まれてしまったような悲しさだった。