ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

『鎌倉殿の13人』第27回

 1182年生まれの頼家が父の死を受けて鎌倉殿として立ったとき、あまりに未経験であったために御家人同士の訴訟に関しては文官4名を含む13人の宿老による合議制に委ねられることになった。これが、第27回の筋である。

 頼家の母親の実家である北条氏と、頼朝の代からの乳母の家である比企氏。この二大勢力の対立は、頼朝の生前からすでに明らかになってはいたものの、妻の実家も、最も貢献度の高い乳母の家も、特にどちらかを重用することなく、孤高の権力を振るっていた頼朝が生きているうちは、取り立てて実害はなかった。しかし、鎌倉殿であるという自覚のみ強く、自分の危うさにあまりに無頓着な18歳の頼家の代になると、幕府の安定は、卵を累ねたよりも脆いものになった。

 頼朝の跡目はたいへん、と嘯く後鳥羽にしたところで、1180年生まれの青年で、しかし、頼家が早々に表舞台から姿を消したあと、後を継いだ実朝をまるで誑かすかのように翻弄し、武家勢力を削ごうと画策するのだった。

 今後、梶原殿や畠山殿が去っていく際に、どのような一瞬の耀きを見せてくれるか、またそれも楽しみですね。

 

 1944年生まれの円丈さんの前座名が「ぬう生」さんだったと知った……!