ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

大根の化身であるふたりの武士の話

 きょうの午後は、近所の某所で、暖かい部屋の薄暗いソファに座り、ひたすら存在を消して、90分間、「待つ」というタスクをこなした。その間、『徒然草』を頭から読み、校異や注釈にも目を通すという作業をした。

 そして、第六十八段に、大根の恩返しの話を見いだした。

 筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のあるけるが、土大根を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづつ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。
 或時、館の内にひともなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来たりて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してんげり。いと不思議に覚えて、「日比ここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候ふ」と言ひて、失せにけり。
 深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。

 この話は、ほんのこどものころに読んで、『毎朝、大根を2本もよく食べられるものだ。』と主題から大きく逸れたところに強い印象をもった。さて、なぜ毎朝食べられている大根が、主人公の武士の危急を救うのだと家人もいぶかしげで、まるでことばは悪いが「共食い看板」みたいな感じをもったかもしれなかった。しかし、土大根(つちおおね)全体の種の繁栄につ着目すれば、それなりの地位の武士が毎日2本ずつ食べるならば、作付面積もだんだんと増え、栽培方法も改良を加えられていくだろうから、やはりそれは日頃の恩顧に報いるところだろうという一応の結論に引っ張っておいた。

 

 

 きょうもおでんの大根を煮ている。