ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

その場所で生きるための資格

 昨年の初夏、不要品を区の指定する集積所に持ち込むにあたって、重量物の積載に十分堪える台車にけっこういっぱいの不要品を積んで、家族の者がそれをごとごとと押し、荷物の運搬に関してはほとんど役に立たないわたしが後に続くという車列編成で自宅から集積所に向けて移動を開始した。週末の午前中のことだ。

 と、住宅の敷地をまだ出ないうちに、台車の進路の歩道のうえに自転車が2台横向きに停められ、行く手を塞いだ。南アジア系の青年と同年配の若い女性がいらだたしげにこちらを睨んでいる。家族の者は、器用に台車を段差のある歩道から車道側に落とし、行く先を妨害しているふたりと目を合わせずにどんどん進んだ。

「邪魔をしたとわかっているよね?」と、わたしはふたりに言った。青年のほうはなにか言いかけて口を噤んだが、女性のほうは、「わかっててやったに決まっている。」と答えた。「じゃあ、しょうがないね。」と、わたしは、いった。

 ふたりは、たぶん書類上は問題なく、滞在を許されている身分だろう。身なりや物腰から、IT系の職に就いているようにも見えない。ちょっと面白くないことがあって親ほどの年頃のわたしたちに厭がらせをしたといったところだろう。

 この昨年の春頃、住宅の集合玄関の掲示板に、A4で2枚に及ぶ英文表記の注意書きがあった。住宅に居住する英語を読み書きする住人に向けて、ごみをルールにしたがって出すこと、住戸内でこどもを飛び跳ねさせないこと、ベランダで騒がないこと等等を自治会から注意喚起するという内容だった。当時このエリアには、朝日新聞デジタルの記事によれば5000人を超える南アジアにルーツをもつ在留者が住んでおり、そして、広くもない代わりに賃料が高すぎもしないこの住宅には、十数年前からだんだんとその人たちの入居が増えていた。

 正直なところ、わたしが気になっていたのは、春から初冬にかけて、雨の降っていないとき、朝8時ごろから夜8時過ぎまで、外で過ごす大人につきあってグラウンドや公園で遊ぶこどもの奇声ぐらいのものだった。それだって、ぜんぶがぜんぶ、南アジア系のこどもの声ではないだろう。南アジア系の人は、公園とか水辺とか、そういう公共のスペースで人と話しながら余暇を過ごす習慣がある、と説明されても、夜に大勢が外で語らっているのはなんとなくこわい、という人もいたようだが。

 ともかくこの人々は、たいてい書類上はなんの問題もなく、入国し、滞在している。

 ここよりも北、隣県の南端のあたりでは、目下、国家をもたない最大の民族である人々が、ずっと物騒な感じで大勢暮らしているという。そのニュースを今年に入っておもにネットで読みながら、生命身体や財産を損なうことなく、そこのあたりに暮らす皆がうまいことやっていける方法がはやく見つかればいいと思った。