台風7号の影響なのか、きのうはこちらの最高気温も32.9℃で、とても涼しいとはいわないまでもわりと過ごしやすいような気がしました。もっともこの週末には、最高気温35℃前後の暑さが大手を振って戻ってくるらしいです。
やや自分に立ち入った話を書きます。
わたしには、内臓とか免疫系の病気を患う以前から、だから、もう何十年か抱えている問題があって、ほとんど人に相談したことはないけど、このごろそれはわたし固有のものではなくて、普遍的とはいわないものの、多くの脊椎動物のなかでも長生きするほうであるヒトという動物にありがちな困りごとであるようにみえてきた。
ありていにいうと、みずからの自儘が他者の不快を催させ易い傾向にあり、それならばそれぞれの他者とは適当な距離をとって生きればいいものの、経済的要請とか心理的欲求とかに衝き動かされて、相手に迷惑を掛ける、もしくはすでに掛けていると知りつつ、関係を維持することに汲汲とする、例の話である。このうち経済的な要請は、贅沢をしないまでも多少は稼がねばならないのでしかたがない部分がある。しかし、心理的欲求のほうは、どうなんだろうか、それを充足するために他者と近しくなろうとするのは、そうした行為に「向いていない」人間は、少なくともあまり熱心に成果を得ようとしないほうがいいような気がする。
買物という経済行為と同列に語るのもおかしくて思えば失礼な話だけど、わたしは、なにか生活必需品ではないものを買う前に、自分はほんとうにこれを手に入れたいと思っているのか数秒間でもつよく自問する。その結果、手中にしたものもあれば、そうしなかったものもある。いまちょうど考えているのは、ある人に手紙を書こうかどうかということで、書く内容はとりとめのない日常のことや季節の挨拶にすぎないのだけど、その人がそれを受け取ったとして、嬉しいと思うかどうかは定かではないし、どうぞしてその人との繋がりをわたしのほうから努力して維持していきたいか数日間、淡く頭の中で転がしてみても、萎縮的でなく否定の方向に思考の玉が転がっていくのだ。
いま5時だが、早朝というよりは深夜の尻尾に、ふだんから書きたかったことを少し書いてみた。
さて、味噌汁を用意しよう。
おもに高校生たちの他者との繋がりかたには自ずから濃淡はあるけれども、がまんして付き合わせたり意地悪く排除したりはしないという、分別めいたやさしさを感じる。積極的に「みんな違ってみんないい」と宣明するのとは違って、「ぼく/わたしとこの人は考え方は違うけど、だからといって敵対するほどの違いじゃなし。」という緩い赦しが日常を満たしている。
最後に、ほとんどなんの脈絡もなく書いておくと、わたしにとって教養というのは、日々の暮らしの中で、他者をなるべく傷つけず自分をなるべく大切にするためのもので、遠藤淑子さんの漫画の中の、『無知は人を傷つける』という短いフレーズに収斂されていると思います。人とは、他者と、自己のことです。