まあまあ暑い。午前中、宅の後期高齢者の定期通院に付添で出掛ける。地域の三次救急は、通路が狭い上に午前中は特に混雑しているので、易感染性の高いうちは長居したくない場所だけど、しかたがない。請薬で済ますには前回の受診から間隔が開きすぎていると判明した科の受診を求めて、定期通院の科のほかにも余分に待たねばならない。それがいつになるかはわからないし、待っている間に本来の科の予約時刻よりもかなり遅くに回された。予約していた科の受診が終わって、またもといた科の当日受診に並び直す。次回は、請薬で済ますとして、その次は、必ず診察の予約をとってから出掛けよう。
待っている間に、ポトツキ著『サラゴサ手稿』の中巻を読了。自宅兼工房でインクを調製する登場人物がいて、彼との名乗りを許されぬ実子が失態を演じてそのインクの入った大きな甕をたたき割ってしまう話がまだ尾を引いている。ポトツキが『サラゴサ手稿』を書いている間の1806年にクライストによって成立した『こわれがめ』という喜劇をNHKラジオのドイツ語講座で少し読んだ記憶がある。甕を用いるという貯蔵手段が身近だった時代。テレビCMなどでは、鹿児島かどこかの露天にたくさんの大きな黒酢の甕が並べられているのをいまでもたまに見ることがある。
会計が終わって調剤薬局に処方箋をお願いしたらすでに正午を大きく回っていたので、後期高齢者ともどもすき家さんで昼食。ここは、昼になっても鮭や鯖の定食があるので、牛丼に馴染みの薄い年寄り連れでも心配が少ない。わたしは牛丼の並をとって、上の牛煮込みをどんどん年寄りの丼に移して、その代わり若干量のごはんを引き受けた。家では白ごはんの量を50gに制限しているけれど、食べようと思えばいくらでも掻き込める感じがした。なぜかサラダもシーザーサラダとふつうのサラダのふたつをぺろりと平らげ、大ぶりの器に盛られた豚汁も。食べている途中で、店内BGMで『サマーヌード』が掛かって、わたしはこれを15年前くらいに土岐麻子さんのカバーではじめてきいた。懐かしかった。
生涯にわたって、わたしが『サラゴサ手稿』やモンテーニュの『エセー』を原語で読むことは、たぶん期待できないだろうけど、翻訳者さまのおかげでたとえ病院の待合室であっても電車の中であっても近世近代の大貴族の著作に臆することなく向かい合えるというのは、ありがたいことである。おもしろいよ、古典。