(予約投稿)ヘリの多いアメリカ合衆国を生きる
「誰も米国を守ってくれない」。
ちょうどいま、Amazonプライムで観ているTVシリーズが、「シール・チーム」で、かの海豹のなかでも選り抜きの精鋭部隊が合衆国軍が合法的に展開可能な世界各地へ、合衆国政府の命令に即応して赴き、人質を解放したり障害を排除したりするドラマだ。ときには、「FBI INTERNATIONAL 」以上に、設定に無理があるのではないかと感じる回も。愛国心に溢れ、仲間思いで、誠実で真摯で優秀で、だいたい酒好きな彼らは、しかし、直接にまたは間接に、撃ったり爆破したりして、「敵」を無力化し、たいていは息の根を止めるのだ。2020年現在のチームのリーダーたちは、2001年9月11日の多発テロ以前に軍に加わった世代で、テロを起こす諸悪の根源を叩いて米国市民の生命身体健康そして財産を保護し、世界最大の民主主義国家を標榜する祖国を守ることに絶対的価値を置いている。
日本では、たしかに沖縄県に米軍基地が集中的に多く置かれ、現地の基地負担は重く、また、日米地位協定の壁に阻まれて刑事事件が発生しても捜査も含めて訴追一般が難しいという問題が生じている。そして、沖縄各地や横須賀、岩国等に米軍の施設があるように、フィリピンにもカタールにもヨルダンにも、そしてドイツにも米軍基地が置かれている。基地で働く米兵や軍属、そして関係する民間軍事会社やその他の組織体の人と現地の人々との間に、親交も結ばれれば、当然、軋轢も生ずるだろう。若かったり、中年にさしかかっていたり、そろそろ引退を考え始めていたりする米軍基地・施設に勤務するひとりひとりは、まさか「シール・チーム」の主要登場人物のように使命感と友愛を湛えて訓練と作戦だけに日を送っているわけではないだろうが、それでも異郷の地で、戦闘等の状況で命を失う可能性を強く意識しながら暮らしているのだろう。
戦争が勃発して一年を迎えるパレスチナのことを思うとき、パレスチナとその周辺国で現在も起きている大量殺戮に関して、きれいであるとはまったくいえない自分の手を見る。この手は、世界のどこかの誰かの死に必ずや関与している。
いうまでもなく平時においては、人は、人を殺さないほうがいい。では、1時間後に100人以上の死者を出す蓋然性の高いテロ行為を企図し、なおかつ実行可能な装備を現実に保有する者の身柄を生きながら押さえることが難しいとき、その者の命を奪うことは(やむを得ずと断り書きを付けつつ)、つねに無条件に許容されるのだろうか。
もしもある人々が通有するのが、自分に遠い人より近い人を、同じ近しさならば人数のより多い群れを、優先して救うという思考ならば、自分に敵対する者の命は、きっと鴻毛よりも軽くなるだろう。
でも、それで、いいのか。

