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ぴょん記

まじめにはたらく

洗濯に励む晴れ間

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 掲題の通りとはいえ、関東南部は今日の夕方に小雪のちらつく可能性を残しつつ、しばらくは晴れが続くとか。相対的寝不足と神経痛などで、朝のうち、とても元気がなかったけれども、なんとか起きて台所や風呂場で動いているうちに少しずつ調子が出てきた。今日は午後、ちゃんと働いて、夜になってから菓子パンを食べるのだ。

霙ふる暗い日

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 頻脈が起きてほどほど苦しかったので、午後はしばらく居間で転がっていて、夕食の仕度と風呂沸かしという最低限の家事だけ済ませた。いま寒いのかしらとツイッターで呟くと、関東地方中部のお友達や西の方のお友達が次々と寒いよ雪が積もっているよと答えてくれた。このあたりでは、日中の最低気温は18時前に摂氏1度を割り込んだあたり。浅蜊の炊き込みめし少しだけ白菜の漬け物で食べてあとはおとなしくしていた。

 

潰れまいとする力

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 ネットの知り人のなかに、ここ当分の間、こころの調子がよろしくないという人がいる。自分を生きている甲斐のない者だという。こういうとき、わたしたちの脳裏に浮かぶのは、在五中将の東下りだ。

昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。

伊勢物語・第九段)

 京都から関東地方南部までの交通手段が限られていて、しかも治安も悪い中を、貴族仲間と連れ立って、歌を詠みながらの旅である。業平は50代半ばで亡くなるまでめざましい出世こそしなかったものの、父方母方とも桓武天皇の直系なので身分はとても高い。貴種流離譚の一種として伝わっている数多のエピソードも、結局のところ、雅び男の業平が詠んだと伝えられる歌があったからこそ現代に残った。

 「身をえうなきものに」、つまり、自分はつまらないものだと思ったことが、男がみやこを離れた動機である。もっとも、望むようには位は上がらないし、藤原は威張るし、それにたぶん、そのまま京都にいてはまずいような状況はあるし、で、複合的理由があったとも言われているけれども[要出典]、表向きは自己評価が下がっていてつらいので、彼は、京都を離れることにした。

 いろいろ片付けて羅城の遙か外、不二の山をも越えた向こうへ旅しようと決めたとき、きっと男の意識の少し外側、でもごく近いところに、このままでは終わらないという意地があったと思う。

 こどものころから伊勢物語を繙くたびに、どうしてこのおじさんは伊勢の斎宮とかお后になると決められたお姫様とか、難儀な相手にまで手を出すのかと不思議だった。薬子の変以降、嵯峨系の天皇がつづいて、兄の平城系の子孫は業平が生まれてすぐに臣籍降下してしまった。業平の不羈奔放は、その家系の閉塞した空気の反動だと解釈されることもあるけれども、いったいそのあたりどうなのかしら。

 

応天の門 2 (BUNCH COMICS)

応天の門 2 (BUNCH COMICS)

 

 

梅春の寒さに夏のみのりを思う

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 晴れてはいるけれども、昨夕から気温が下がって風が強い。台所で洗い物をしてから、調べ物。そこへ実家から電話が掛かってきていろいろ相談。わたしは昨秋、京菜の種をタキイ種苗から実家に送り、それを母が菜園に播いたのでそろそろいい具合かとか今年はどんなトマト苗を台所の窓の下あたりに置いてみるかなどと話す。ピーマンの種など、50粒とか75粒で税込630円くらいして、やや高めだというけれど、タキイ種苗のサイトで注文して田舎の係累のうちに送ると土が肥えているのもあるが、やはり収量が違うという。人参などは固定種でおいしいのが幾らでもあるのでそういうのを食べたいとは思うけれども、そのうちは、いろいろなところに住む非農家に夏野菜から冬のはじめの白菜までどんどん送るうちなので、やはり安定してたくさん穫れるほうが喜ばれるのだ。人参に限らず、固定種の種を選んで植える農家の人の特集は、リニューアル前のクウネルで読んだ。クウネルは、昨春のリニューアルのあと、3号は読むといったけど、結局、4号までは買った。以前のクウネルよりは、確実に大きな距離を感じざるをえない。2ヶ月に1回、楽しみにしていたクウネルという雑誌は、もう存在しない。表紙も、甲田益也子さんならクロワッサンで見慣れていたけれど、小林麻美さんを何回も起用するというのは、雑誌のほうから、以前の購読者に踏み絵とまではいわないまでも、わりと突き放した、お厭なら結構、という一種の通牒を渡した感じだ。以前のクウネルの読者の多くは、あまり小林麻美さんに近いとは思われない。小林麻美さんがきらいなわけでもないけれど、雑誌の表紙というのは、現代においても、なお重要だ。

 西瓜がたくさん生ったら、はたして分けてもらえるだろうか。

 

今朝は朝から騒がしい

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 何週目かのブログ論の盛んなるを眺めて、そもそもあれ工学ではないではないかという前にいったい恋愛だったのかそれは、と同様に、ウェブリブログなのこれはそれとも広告リンク頁なのかしらとふと思う。ブログそのものの主張内容と、「収益化」、いずれが主でいずれが従であると外部に表示されていれば話はもっと単純なのに。もっともわたしの「これ」も、誰かに向けて主張したい内容をほとんど含んでいないし、また、儲けというものもはなから目指していない。紙の手帳に毎晩綴る事柄と大差はないものである。

 住まいのある集合住宅に出入りするケーブルテレビ事業者が数年前の導入時に倍する執拗さでセールスを仕掛けてくる。事業者の下請が何社かあるのだろうか、断っても数日経つと知らぬ顔で再度、契約を促してくる。差し入れる「申込用紙」の記載内容や、インターホン越しの勧誘文句、グレーゾーンの薄い範囲をとっくの昔に通り越してすさまじい。契約する意思は一切ないので以後煩わせないようにと告げるのだが、いやでもこれうちが請け負ってますので、と話がまったくかみ合わない。隔日で夕飯どきを襲われて落ち着かない思いをしてさすがに厭になってきたので、とうとう賃貸人に電話して、契約する義務等が一切こちらにないことを確認した上で、ケーブルテレビ事業者のほうに宅に勧誘を掛けないように連絡してもらった。

鮨の出前

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  柿家鮨さんが、一定額以上の握りから最大2000円を割り引くフェアをしていたので、日曜の3人前を注文して1000円割り引いてもらった。黒いボール紙の折にチョコレート専門店のショコラのように規則正しく置かれた鮨は美しいけれども、惜しむらくは、折が4人前と共用なのか、やや余裕が多くて寂しい。鰯の酢締めや鮪の切り込みの軍艦巻など入っていて、1人前と少しで、おいしいものをたくさん食べた気になった。午後は、繕い物とアイロンをして、夜は酢物など。新しい若布、茹で蛸、胡瓜たくさん。

今週を振り返って

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 後で困らぬように仕事に通常の倍の時間を振り向け、活字に親しみ、寝不足気味で、どろりとしたものに足を引っ張られるような感じだった。きょうは土曜なので、昼餐を近くの食堂で奢ってもらい、天麩羅でごはんをいただいた。夜は、鯛茶漬け。胡麻は、練り胡麻と当たり胡麻の2種類を使って、葱、大葉、茗荷が薬味。

 

細木香以

細木香以

 

 

 幕末の江戸を生きたお大尽、というより、文化人の評伝。摂津国屋(つのくにや)という、前田様や上杉様お出入りの大商人の嗣子に生まれつきながら、取り巻きを連れて賑やかにぱっと暮らしていたら身代がすっかり傾いていた、という夢のような生涯。お姉さんの娘さんが芥川龍之介のお母さんに当たると読み取ったけど、それでいいのかしら。