Geschichte
麓へ向かうトロッコに乗ったのは、朝の7時前。わたしと同じように第3シフトを終えたものの、そのまま宿舎の風呂に浸かって次の勤務まで仮眠を取ろうとする者が多いので、下りのトロッコにはわたしのほかは数人の者しか乗り込まなかった。気温は、-15℃ほどで…
玻璃くんは、あいかわらず大学院の研究室と本来の勤め先の鴨川中の間を行ったり来たりしながら、論文書いたり授業案のプリント切ったりしている。よう働くウサギやと皆は玻璃くんを褒めるけれども、当の玻璃くんは外面よし子さんの内面如夜叉で、夜中の3時に…
水曜の正午前、家の固定電話が鳴る。あれ、なんやろかといいながら、おかあちゃんが受話器を取る。 「ああ、おかあちゃん、僕や。家帰ってお昼食べるつもりやったけど、午後イチでゼミあるみたいで、帰る暇があらへんのや。」「あらあ。」「お願い、シロに弁…
ほぼ3年ぶりのこんにちは、や。去年の春に、理学部数学科を卒業して、ぼくは、母校の数学科教諭として働き始めました。あいかわらず、1限目はほとんど眠ってるし、給食のプリンは2個以上貰うし、で、せやけど、担任としての家庭訪問も文化祭実行委員会の顧問…
きょうの午後は、近所の某所で、暖かい部屋の薄暗いソファに座り、ひたすら存在を消して、90分間、「待つ」というタスクをこなした。その間、『徒然草』を頭から読み、校異や注釈にも目を通すという作業をした。 そして、第六十八段に、大根の恩返しの話を見…
どこかの畑で大根を引いていたら、そばの小道を歩いていた奥さんが財布を落とすのを見たので、大声で知らせて本人は無事に財布を拾った。ぜひともお礼をせねばなりませんと言われて、さんざん辞退したけれども、わたしの雇い主のご夫婦もこうまでおっしゃっ…
平安末期、藤原伊子という女性がいた。いや、いたとしよう。松殿基房の何番目かの娘で、木曽義仲が軍勢を率いて京の町に進駐し、ただでさえ飢饉に苦しむ都の内外から木曽の軍が糧秣を徴発しては憎まれていた時期に、義仲が彼女のもとに通うようになった。義…
光明皇后の母親である県犬養橘三千代には、前婚で儲けた三子があった。のちにそれぞれ橘諸兄、橘佐為と名乗る男子と牟漏女王である。女王はその後、母親の再婚相手である藤原不比等の子である房前と結婚し、男子三名と北殿と呼ばれる聖武天皇の夫人を生む。…
2019年のゴールデンウィークが10日間あったのは、その最中も前も後もそれぞれにしんどい思いをしたにはしたけれど、今般のはまあちいと長いわなあと、おかあちゃんはダイニングの椅子に腰をおろして人参の皮を剥きながらいう。 「まあちいと長い」とは、婉曲…
宇治拾遺の、越前敦賀の長者の遺児が観音を信仰したおかげで急場を救われて困窮から脱した話、しまいまでざっくり話せてよかった。— pyonthebunny (@ae_pyonpyon21_j) 2020年2月19日 敦賀の金持ちのひとり娘、親が自分の亡くなった後も苦労しないようにと婿…
これは、昭和32年か33年、西暦でいうと、1957年ごろの話で、2019年の現在からは、約60年前の話。ツルは、中学を出て、家から峠をひとつふたつ越えた先にある国鉄の駅をつかって裁縫の学校に通っていた。ツルが11歳の春先、母親は、兄とツル…
来年のゴールデンウィーク、御代譲りのご盛儀を挟んで、どうやら10連休になるらしいって、いまからお母ちゃんたちは戦々兢々や。そんなん立ち話している暇があったら、事始めも過ぎたことやし、まず目先の年末年始の仕度に精出したらどないやろと思わんこ…
いきつけのとんかつ屋さんでは、おかあちゃんとぼくは目立たんような隅っこの席に通される。いつもお母ちゃんは上ロースカツ定食、ぼくは子供用プレートを頼んで、ほんとうの狙いは食べ放題の繊切りキャベツや。ぼくのお皿のヒレカツ2切れは、おかあちゃん…
今週、シミ子おかあちゃんは、夏の間中、こればっかりは掛け値なしで無料だった太陽の熱と光から見捨てられて、洗濯ものもままならず、陰々滅々、『平家物語』ほかの電子書籍に向かっていた。 小雨のふる秋の日中に焚き籠められた香の薫りとか、やっと雨の止…
ぼくのお母ちゃん、じつは昨日ぐらいから『七人のイヴ』シリーズに手を出してん。ほんとは7月に書評をちらっと眺めて、「面白そやなあ。せやけど、ふつうのシュフには高いわあ。手が出ぇへん。」と独り言いうて忘れていたけど、ハヤカワのフェアで3分冊*1…
『京兎銭兎』の18年初夏編。
一条のおとどのお屋敷に、伊勢どのがまた参って、わたし同様に筑紫どのの頤使に従うようになったのは、若君がお二つのはつなつを迎えられたころだった。上臈女房で年齢もかなり重ねている筈なのに、ご大家の主婦として大勢の家族や使用人の取り回しになれて…
お料理が面倒なわけでも誰が苦手ちゅうわけでもないんやけど、と、おかあちゃんがひとりごちながら台所に立っていた。ふんふん、と僕が軽く相槌を打つと、びくっと小さく肩をふるわせて、あらあんたおったんやったらはよいうて、と笑わはった。僕は、踏み台…
お仕えしているにょおうさまの物詣でにお供するので衣装を調えているが、手持ちのものではいだしぎぬとしてみたときの様子が気に入らないのでなんとかしてほしいと、はらからが文でいってきた。このおんなはらからは、みやこが寧楽にあったころ、諸兄のおと…
おれはもういかんのかもしれぬなと衾を引き掛けて横臥したままであるじの殿がおっしゃったので、わたしは、いつものように聞き流して、そこかしこに脱ぎ散らかされていた御衣を簡単に畳んでからそばにいた小女房に下げさせた。わたしやほかの者が取り合わな…
大晦日の午後から、山田の一家と一緒に有馬温泉の旅館で過ごしたから、元旦の昼過ぎにおうちに戻ったときはなんとなく抜き足差し足するような気分だった。ぼく、それだけ殊勝な心持ちでおったのに、帰って玄関がらりと開けた瞬間に、おかあちゃんがぼくの襟…
きのう、日本版ウィキペディアの白壁王の項(正確には、「光仁天皇」の頁。)を読んでいて、その生年月日が和銅2年10月13日(709年11月18日)であることを知り、それなのに、御母である紀橡姫が同じ日本版ウィキペディアの自身の項では、王の出…
塗りの筥に清げに薄様など敷き散らし、その上に搗きたての餅を手早く丸めたものをわたしの上司である筑紫どのは厨女に命じて用意させた。本来ならばこの月もわたしが伺うべきところじゃが、お方さまが産み月に入られ、お側を離れることは憚られるゆえ、因幡…
たとえば、世に認められた妻たる人がいる男性が、旬日に一度、母でも姉妹でもない妻とは別の女性のもとに泊まって朝になればまた妻のいる家に帰るという暮らしを何十年にもわたって続けていたとき、その妻とは別の女性は、彼にとって、次妻なり妾なり、とに…
数日来、風邪引きが出たり自分もおよそ活発な気分でなかったりしておとなしくしていた。そういうときは眠っている間にこれは夢だと意識して過ごす時を与えられたり、反対に覚めていても微睡みの中に在るような心地になったりする。むかし、始終、そのような…
『少将滋幹の母』を読んで、在原業平の孫にあたる夫人が大納言国経からその甥の左大臣時平に宴の引き出物として譲渡されたエピソードから、作者の谷崎自身のある逸話を思い出す。それは、奥さんの千代さんを佐藤春夫に譲ったという、昭和5年(1930年)…
日本版ウィキペディアで平安初期の著名人を調べていたら、時平が伯父の国経の北の方を掠って自分のうちに連れ帰ったエピソードが出てきた。時平は当時左大臣で、国経は大納言。在原棟梁のむすめである国経の北の方は、つまりは在原業平の孫でたいそうな美人…
しゃがれ声の老人の、「はい、出発。」という、じつに曖昧な合図にしたがって、ほぼ真っ暗な駅前のロータリーからまずは商店街の外れのスーパーマーケットの駐車場を目指して、思い思いの運動着、背中に手書きのゼッケンをつけた中高年の男女がぞろぞろと走…
「公家の姫が御中臈になることはあっても、大名の娘が徳川将軍家の側室に上がることはついぞなかった。その理由を1500語程度でリポートせよ。」 日本近世史の基礎ゼミの課題を前に、ミカはため息をつく。「姫」と「娘」、「なる」と「上がる」。問題文の…