ぴょん記

上古文学、外国語、数学、調理、編みもの、縫いもの、競争法

追いかけてブログも

 字を読んだり書いたりしない日がある。たとえば、きのうの土曜のように、こころと頭が疲れてしょうがなくて、フットサルで半日走り回りでもしないとぐっすり眠れないような感じのときは、でも、サッカーボールを追い回す体力はないので、文字から自分を隔離する。といいながら、映像に添えられたセリフやナレーションは結局あたまの中でことばとして、文字で貯えられていくわけだけど、スキャニングするのは目ではなくて耳なので、せめてその点の負担は免れる。

 ぎりぎりまで映像を眺めていて、寝る前に、もう活字が読みたくてKindle井上靖の『後白河院』を入れた。少し前の作家でも、文章に気韻を感じさせる人は意外に少なくて、井上靖は、そのきわめて限られた高い山のひとりだ。谷崎などはおもしろいとは思うし、好きかきらいかと尋ねられたら好きなほうだろうと答えるけれど。

 今朝は、日記を2冊更新して、それからブログのエントリも書いた。なんということはない内容だけど、わたしのは、毎日続けることが本来的目的で、中身に少しでも役のたつことを含ませるのは、たまさかに起きればよいという程度に伝来的なものなので、まあ、連日、こんなのでも、ご縁があればどうぞご笑覧のほどを。

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ホットドッグで遅めの朝食

 

プラージュ・訳ありばかりのシェアハウス

 雪にかわるかもしれないといわれた雨。正午近くに下がり続けていた気温が1.6℃になるという、東京東端としては、かなり冷え込む土曜日。通院先で出してもらった処方箋を現物化するために、近所の薬局へ、滑らないようにそろりそろりと出掛けた。階下の商店の一部が、店舗前の、屋根のある通路いっぱいに大きな鉢植えや、テーブルと椅子を置いて小さなカフェスペースにしている。それはテナントとしては禁止されている行為には違いないけれど、どういうわけか黙認されている。ふだんはそれほど気にならないけれど、雨の降る日は、なるべく滑らない乾いた部分を歩きたいし、できるだけ雨にぬれたくないので、その僅かな違反が溜息のもとになる。みんなの場所に、入り込みにくいスペースをやんわりと作出する、あの、大きな鉢植え。いったい誰が最初に考えついたんだ。

 身体的な体力と、同じくらいの精神力が削られているので、そういう小さなことでも不満の種になる。脳に送られる酸素の量が低下しているのだ。前日に測った酸素飽和度は97パーセントだったけど、このごろ全体的にくたびれている。怒鳴ったり叩いたりはまさかしないけれど、誰かに厭な顔をみせてしまいそうで、一日中、WOWOWオンデマンドで、ハンドメイズテイルやニューアムステルダムの今週分、さらに遡って、星野源主演の連続ドラマのアーカイブスを見ていた。作中、埼玉県出身という星野源演ずる男性のことばは本人のものだけど、ご実家は文房具屋さんではなく、青果販売業さんだったはずだ。

 

プラージュ

プラージュ

 

 

 

プラージュ  ~訳ありばかりのシェアハウス~(DVD)

プラージュ ~訳ありばかりのシェアハウス~(DVD)

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  • 発売日: 2017/12/13
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第1話

第1話

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バスに揺られて病院詣で

 年が明けて初めてのD大学医学部附属病院での検査と診察。早朝6時過ぎに家を出てバスに乗り、乗り換えるバスをいつもと違う、初めて乗る路線のにしたら、7時半前にそのバスの終点近くに着いた。そこから病院まではかなり近く、そんなに早く病院へ行っても再来受診機が起きていないので、スターバックスで悠然とコーヒーなど。

 検査と診察も10時過ぎには終わって、また乗ったことのない路線のバスで大回りに移動して、地下鉄駅へ。その車中で、都営交通シルバーパスを利用して買い出しにいくという、推定およそ70歳過ぎの女性たちの、楽しそうな、バスの通路を挟んでのおしゃべりが小一時間。東京の下町のほうでは、バスに乗り合わせた推定およそ70歳過ぎの女性らが、初対面であるにもかかわらず、ナチュラルに自分は膝の具合が悪い腰がよくないなどという健康談議や、どこどこの商店街のなになにという店のどれが安いの旨いのという口コミを交わす傾向がある。同年配の男性同士や、異性同士の間で、このようなコミュニケーションがはかられることは、ずっと少ない。推定およそ70歳過ぎの女性たちは、仲間うちはもとより、新たに乗車し、近くの座席に腰を下ろした、または、立ったままの客が同年配の同性であれば、おしゃべりに引き込む。バスのエンジン音が大きく、多少は聴力の衰えもあるのだろうか、彼女らの声は高く、また、しきりに笑い声が混じる。

 まあ、そういうものなんだろうね。

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バスに3回乗ったから、だいたい引き分け。

 

ビールをのんで2時間後

 水曜は、火曜に起きた厭なことを引き摺って早朝に目が覚めて、寒かったので毛布を膝にかけて仕事をしていたら、もう出られなくなった。そのままお昼も食べず、手元のお茶が切れてもずっと仕事。

 ネットスーパーさんが五ツ星とんかつというのを配達してくれたので、グリルで焦がさないように温め直して食卓でめいめい好きな大きさにカットして食べた。その後、また仕事に戻って、ビールを開けた。

 350mlのうち、200mlぐらいは飲んで、それからうとうとしていたら、なんとなくお腹が不穏な感じになって、夜中にどんどんお腹が痛くなるのは厭だなあと思いながら、今度は本格的に眠ってしまった。

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小さいコフレを今年は買った。

 

野生動物は生傷を隠す

 たとえば血の匂いは、サバンナにおいては、同情や保護のきっかけになるものではなく、捕食者たちに対して、ここに逃げる能力の衰えた、新鮮な肉の塊がいますよ、と広く知らせるようなものだ。

 ある人が、困っていること病んでいることだけでなく、誰かに世話になったことやさしくされたことまで、周囲から隠すようにして生きているのは、「心配を掛けたくなかったから」と包括的にいわれることがよくあるけれどほんとうはそうではなくて、弱みをみせて惨めな立場に自分を置きたくなかったからなのだと、このごろしみじみとわかってきた。それをもっと早く掴んでいたならば、それなりの対処もできたけれど、いまとなっては悔やむことばかりだ。

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右のはなんとなくエイリアンを連想させる

 

こんどはもっと編み目が増えた

 年末に仕上げた「牛の第n胃」をどこに行くにも巻いていって、ストールと違って風に吹き飛ばれそうになったり畳んで落としてしまいそうになったりしないので楽だと思った。そこで、洗い替えを作ることにしたが、前回3号輪針で1周160目だったのを同180目にしてみることにした。緩くする方向へ変えたのは、輪っかの内側にわたしの髪の毛が入り込んでしまい、その分の隙間を余分に設けなければ、若干息苦しくもなるからである。けっしてわたしの頭が大きいからではない。

 人に、これをこうしてほしいとかあれはどうぞやめてほしいとか、わたしはいろんな期待をする。その思いを明らかにしても望みがかなわないことも多く、まして口に出して文字にして外部に表明することをしなければ、それを察してもらえることなど百にひとつもない。いっそのこと、誰か自分ではない別の人を動かすことなど、はじめから計算にいれないほうがよいのか。

 そういうことに比べたら、編む縫うことの、なんと容易く掌のうちに糸や布をほしいままにできることか。

 

  マルチカラーのOpal毛糸で編んで、続きは単色ので。

破裂しそうなまでの空虚さ

 連休も最終日となれば、食事の仕度と後片付け、洗濯に掃除とふつうの日よりも多めの家事が目の前を通過していく。このごろは黒胡麻を搗きこんだ切り餅に執心していて、それを熱湯に短時間浸して、きなこをまぶして食べたりする。きなこには、砂糖と少量の塩を混ぜたりしていたけど、大豆の粉であるきなこだけでも自分は別段構わないことがわかった。玄米餅1個と胡麻餅1個とか、胡麻餅2個とか、胡麻餅と白い餅各1個とか、とにかく一度に2個は食べる。部屋に火鉢でも据えていたらきっともっと食べたことだろうが、さいわいなことに、餅を焼くのは台所のグリルなので、ひとりあたま2個以上は焼かない。

 刀削麺サイゼリヤも、食べてしまえば思い出と領収書だけが残る。つぎの食事はせっせと自分で用意しなければならない。サイゼリヤの、あの、月に2回寄ったとしても飽きてしまわない、いうなれば寸止めのイタリアン感は、わたしには出せない。ビスク鍋のもとのレトルトとカゴメの基本のトマトソース、牛乳1本で仕立てた鍋で牛肉と正月菜*1などを温めて、残りのスープをルヴァン種のバケットで掬って食べたのなど、ナポリよりは小学校の給食室がよほど近かった。つまり、イタリアン感は、よほど薄かったのだ。

*1:みかけは小松菜、味は白菜、とか。