ぴょん記

上古文学、外国語、数学、調理、編みもの、縫いもの、競争法

ハーブを育てたい

 きのうもけなげに朝顔が咲いていた。しかも、5輪も。ここのベランダは、日照時間がそれほど長くない。朝は一番に日が当たるが、正午を過ぎるころには、日が陰ってくる。そんな条件なのに、初夏から晩秋まで約半年にわたって咲き続けてくれた朝顔、ありがとう。だから、種をとって、来年も朝顔は続けます。

 そして、たぶん、トマトは強い苗を揃えて慎重に育て、バジルも植えて、そして、ローズマリーとラベンダーを翌年以降も株として残るほど強靱に育てようと思う。ほかに何もないけれど、よい香りの漂うベランダになるといいな。

f:id:e_pyonpyon21:20181114145121j:plain

 青紫蘇と九条葱が獲れたら、家計に直接寄与するベランダなのだけど。

 

築き上げた富の上で奏でる愛とやら

 事業承継と、血脈の維持、それが「裕福な人々」に課せられた義務で、その義務を十分に果たしているうちは、社会規範からの密やかな逸脱も許されるという連作。

 薄汚い人はひとりも出てこないけれど、羨ましく思える人もまた、殆ど現れない。高校を中退してバレエの道に入ったけれど、ついにものにならずに南の国へ飛び、そこでガイドのようなジゴロのような暮らしを続けている男や、夫が囲う男たちを躾ける役目を担う奥様。

 複雑な味の料理に仕上げられる狩りの獲物のウサギ。シェリーに合わせて、最後にもっと強い酒で舌を宥めねばならないほど難しいジビエなら、どうぞそっとしておいてとBEASTARSのハルちゃんならきっと言うだろう。

 

同じく家にこもる晩秋の小豆三昧

 たまに、日本橋室町の富澤商会のお店で豆を買う。わたしは、大きめの豆を一晩かけて戻して皺の寄らないように身を破らないように静かに煮含めて甘く煮上がったら勝ちだと思うけれども、家族の一番の好物は、なんといっても小豆だ。

 小豆は、1度茹でこぼし、30分煮れば、赤飯に使える硬さにはなる。だから、小豆は200g以上を洗い、煮始めて30分経ったら、まず、煮汁の一部と赤飯用の小豆を取り出す。そのあと、水を足してさらに1時間弱火で煮ると、豆のはらが裂けて、善哉にする頃合いになる。砂糖と少量の塩を加えるのはここからあとで、昨日は、糖分に、夏に果物のリキュール漬に用いた甜菜糖の残りを利用した。

 これを玄米餅を焼いたのと一緒にして餅入り善哉。

f:id:e_pyonpyon21:20181112084913j:plain

これは新宿のタカシマヤの上のお店

 『西郷どん』では、吉之助ビューからの一蔵(瑛大)の描写が専らなので、どうしても一蔵が頑なに見えてしまうけれど、大久保には大久保なりの言いたいこともそりゃもう山ほどあったでしょうに。

 

どこにも出掛けない晴れた晩秋の土曜

 税抜128円の秋刀魚を4本、ネットスーパーで買った。三陸沖の太平洋で獲れた秋刀魚。水揚げがなければ配達されないので、そのあたりは先方の都合次第だけど、今回は無事に届いた。

 それに盛大に塩を振って、機嫌の直ったガスレンジのグリルで焼く。このとき、グリルの皿には水を張っているが、網の上にはアルミホイルを敷いている。これに秋刀魚を並べて、身をひっくり返す前に、アルミホイルごと手前と奥を回して入れ替える。そうすると、秋刀魚の肩口から尻尾の付け根まではよく火が通る。身の上下をひっくり返してからももう1回、アルミホイルを回す。

 夜、インスタント味噌汁と玄米餅で、雑煮。

f:id:e_pyonpyon21:20181102085648j:plain

 ミディアムとはいいながら、けっこうたっぷり。

事務手続上の誤りですか

 先週の土曜から、立て続けに5件ほど、わたしの注文が疎かに扱われることが続き、どうしたことかとつらつら考えるに、これはたぶん広い意味での人手不足が原因であるらしい。つまり、その事務を取り扱う適性なり経験なりが不足している人が、ビジネスの大きな枠組み作りや、細々とした梱包や配達など、それぞれの部署に配されているからこそ生じる不具合ということだ。

 組織内部の人事など外からいじりようがないので、だから、自分にとって都合の悪いトラブルについては、ちゃんと配達時間帯の指定を守って、とか、せめてクレームのメールの文面を1度は読んでから返信して、とか、根気よく言い続けていくしかないみたい。

 アマゾンさんのカスタマーサービスからは、お詫びにアマゾンプライムのサービス期間を1か月延長します、とのオファーをもらったのだが、それが誠意というのはともかく、日本円で数百円の小銭を投げられて黙る筋合いもないので、それはいりませんと辞退した。

f:id:e_pyonpyon21:20181109152650j:plain

友だちじゃないのに、親切にしてやったのに

 記憶に残る限りで何回か、きっとそれ以上は見ている夢で、「県立高校に入り直して1年生からやり直す」というものがある。現実のわたしはすでに年寄りの部類に属する(と思う)のだが、2度目の高校に生徒として通っているわたしは、だいたい20代後半くらいの見掛けだ。

 そこでは、つねに、「友だちってなんだ」という普遍的な問いに突き当たる。だから、その幻の高校生活第2試合の夢は、いつも苦く終わる。

 人間とのつきあいにおいて、かなり理不尽な目に遭ったとき、わたしは、相手にとって自分は大切にしあう関係にない存在なので、という理由をつけて、その間柄から遠ざかるようにする。わたしを大切にしてくださいと頭を下げることは滅多にない。困難に立ち向かわないのだ。

 これが、自分に子どもでもいて、その子をコミュニティに迎え入れてくださいとお願いするところなら、もしかしたら七重の膝を八重に折って、言おうとすればいくらでもいえるお愛想を口にして、目的を成就させることも厭わないだろうが、あいにくここは自分ひとりのことである。自分を大切に思わない人に情けを期待するのは、通りすがりの人から1万円恵んでもらうのと同じくらいしてはいけないことだ。

 そういうのとはまた別に、「やめるか死ぬかするまで虐める」という狂気を目の当たりにしたことがある。それは、結構な圧力である。それに対してわたしは、「虐められてもやめも死にもしない」という態度で接した。それを傍観していた人たちを加害者と同類同罪とまではいわないけれど、彼らをもとても冷めた目で見る気持ちはいまでも続いている。

 幼少の砌、勉強はほどほどでいいから友だちと仲良くできるといいねえ、とハハが繰り返しいっていた。友だちっていったいなんなのかねえ。

f:id:e_pyonpyon21:20181003172827j:plain

油断して昼食食べすぎるとすぐこれだ

 10月、旅の途中で外食を重ねて普段は殆ど食べない昼めしを摂り、東京に戻ってからもカップラーメンなど手軽で塩分もあることから好んで食べていた。その結果、HbA1cの数値が急激に悪化し、いったいなにをしたらこうなるのですかと聞かれた。正直、量的規制はしっかりしていたから、血液がここまで糖に粘着されるとは予想しないでいた。おそろしい。飢えて狩猟採取のために1日十数キロも歩いて、それでもせいぜい2000kcalを手に入れられれば御の字だった代々の祖先の身体の作りが、百姓になって何十世代かを過ごしたあとでもデスクワークの末裔の身に影響する。

 そして、ただいま、わたしの腸内細菌叢は、壊滅的状況にある。昨日の夕ご飯を気持ち多めに摂ったばかりに、何時間寝ようとも起きたときにはお腹の中からすごい音が聞こえてくる。

 

  もうしばらく、絶食。