ぴょん記

上古文学、外国語、数学、調理、編みもの、縫いもの、競争法

ネコジャナイとわざわざ断る帽子

 ネコ耳は、結局、3枚半、編んだ。半、というのは、以前にも書いたように、片耳が白いタイプで編んだのを途中まで解いて一色だけのに編み直したからだ。1枚は手元において、2枚は、親族に押しつけた。

 このネコ耳は、たしかに温かいのだが、わたしが被ると頭の大きさに押しつけられた髪の嵩が加わって、かなりきつめに見える。傍からみてきつめに見えるくらいだから、被っている本人はかなりきつい。ときどきすっぽりと脱げて辛うじて項のバレッタに引っかかっていることさえある。

 だから、新たに毛糸を取り寄せて(1玉からのほんとの小口で買えるいい時代になった。)、ネコ耳帽子より大きなネコジャナイ帽子を編むことにした。途中まではネコ耳と一緒だが、頭頂に向かって少しずつ収束していき、さらには頭頂を過ぎてもどんどん窄まっていくという拵えである。いつも3号の輪針で30分で1センチ編み進むものを手にしているので、12号の輪針でざくざく編めるワッチづくりは、いい気晴らしになる。

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ネコ耳より1玉以上余分に毛糸を使った。

 

『麒麟がくる』第42回

 毛利攻めの副将である荒木村重が叛した。長女の岸を村重の子息に嫁がせている十兵衛は、羽柴秀吉とともに、村重に帰順を勧める。だが、村重の決心は揺らがず、そのことばの中に現れた義昭に救いを求める心で、十兵衛は、鞆の義昭を訪ねる。行って帰って六日だからと、左馬助ひとり連れて海路、敵地に乗り込む十兵衛。鞆では、義昭は、生きながらパワーバランスの均衡点となって、結局誰からも顧みられない身を自認していた。しかし、殺されなければ、いい。まだ戦国時代なのだ。「いのちだいじに」、である。そうそう、鯛が釣れたときの、義昭のあの手放しの笑顔ときたら。滝藤さんは、次は、秀吉をやってみるべきだろう。

 有岡城における一年間の籠城戦が始まった。この城の中には、2016年『真田丸』において、「なんとか官兵衛さん」といわれた、2014年『軍師官兵衛』の黒田官兵衛も囚われているはずだが、それについてはまったく触れられない。十兵衛の娘・岸は、籠城の寸前に、離縁されて実家に戻された。それを見守る左馬助のあの表情は、尋常ではなかった。

 三河から海路、紀伊半島を回り込んで十兵衛に会いにきたのは、徳川家康。信長の娘である嫡男の妻と、家康の妻の築山殿の感情のすれ違いが、嫡男と築山殿が武田勝頼と通謀しているという疑惑まで生み出し、とうとうふたりを斬れという命令が信長から発せられたのだった。いくらなんでも家内のことは自分が処断するべきこと、信長がそこまで差配することはできない、と静かに憤る家康に、十兵衛は危機感を抱く。ただのふたりの争いならよいが、三河を背負う家康が、尾張その他を支配する信長に対して牙を剥くとき、それは新たな天下大乱の芽になるからである。

 これではいけない、と丹波攻めを前にして信長の前に伺候した十兵衛を、信長は思うさま打擲する。発火点は、またもや正親町天皇についてである。月見に託けて親しく御諚を承った十兵衛に対して嫉妬を露わにする信長。正親町天皇は、自分が行った数々の奉仕をご嘉納くださって頼みにすると言ってくださったのではなかったのか、そして、十兵衛は、そもそもの昔から、帰蝶を自分のもとに送り、ほぼすべて肯定するかたちで、自分を見守ってくれていたのではなかったのか。割れてしまった十兵衛の額の朱をみて、信長は呟く。「どうしてこうなってしまうのか。そうか、みかどにご譲位をお願いしよう。」と。

 信長を取り巻く状況が、どんどん煮詰まってしまって、あと2回で、ものがたりは、終わる。

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このわくわく感はいったいなんだろう。

 

今夜半には都内も降雪かもと

 雪といえば、2014年のソチ冬季五輪のあたりに、かなりの量が積もって、多くの人が難渋していた。わたしはそれを退院できない病院の中で聞いた。思えば、その前年の2020年夏季五輪東京開催決定も、同じ病院の別のベッドに寝ていて知らされたのだった。あのときは、わたしの疾病が、隣県の医療資源をわしわしと食べ潰した。いまは、病態はやや落ち着いて、居住地である都の医療資源を穏やかにしかし間断なく食らい続けている。ともかく、わたしの発病とCOVID-19が重ならなくてよかった。

 病院というハコとベッドがあっても、それを動かす医療者、サポートに回る人々、大量に使用される医薬品を含む資材がなければ、病気や怪我の治療はできない。いま、げんに医療資源の逼迫が、盛んに報じられている状態で、大きな事故や大災害が起こったとしたら、そこで行われるトリアージは、よりシビアなものになるだろう。自分がその場で振り分けられる側にいて、諦められるグループに分類されたとき、従容としてそれを肯えるか、こんなに身体が衰えたあとになっても、まったく自信がない。

 

  映画化された作品。映画のなかで、「報道のヘリは飛んでいるのに、ドクターヘリは飛ばないの!」と、竹内結子さんは、叫んだ。

 

 

2000日めのダイアリー

 2015年7月末ごろから、記入実態はともかく、日付だけは連続した記録としてこのはてなブログを運用してきた。それが今日で2000日めになるようで、表のページには表示されなくなったけれど、自分の管理ページではなんとか確認できた。

 日記でも日報でも家計簿でも、毎日続けること自体は、それほど難しくない。自分の望む時間帯に、好みの形式で、できる範囲の記述を行えばいいだけのはなしで。読み応えのあるものとか人口に膾炙するようなものとか、そういう気の利いたものを書こうとすると、きっとハードルが急に高くなる。たとえばこのブログは、内容のおおよそ9割は食べたもののメモで、グルメでもグルマンでもない、首都圏の中年の主婦が日常的に口にしたものについて簡単に書いているだけである。くわえてわたしは、暇がわりと多い身である。

 ところでこのごろわたしは、時間があると意地悪について考えているのだけど、明日からはぼちぼちそういう人間の影の部分にも触れていきつつ、あいかわらず刹那的な浅い考察を重ねていきたいと思う。

 いつもありがとうございます。

 

五色の舟 (ビームコミックス)

五色の舟 (ビームコミックス)

 

 

顔の毛を切ったり削いだり

 NHKの特集で、人間の身体の表面から体毛が目立たなくなった理由について、考察されていた。幾つかポイントを挙げて語られたなかで、わたしがもっともなるほどと思ったのは、脇の下から乳を通り、下半身に向かう、2本の乳腺の端と端、つまり腋窩と鼠蹊のあたりに毛が残されたという事柄だった。ちなみに、どうでもいいことだが、ある治療がもとでわたしの腋窩あたりの毛は両方とも抜けてしまって、以後、まったく生えてこない。その「ある治療」が、どれだったのか、それとも、どれかとどれかの組み合わせだったのか、皆目見当がつかない。

 ところで、きょうは、顔の毛を処理した。まず、眉の周りを電動剃刀で剃って、それから、小さな鋏で眉をカットする。それから、顔のその他の部分にも電動剃刀を当てて、化粧水をたっぷり含ませたコットンで拭き上げておしまいだ。近所の理容店でプロの剃刀でしてもらっていたときは、じつにさっぱりしたものだが、自分ではこのくらいが関の山だ。プロの剃刀が当たって数日は、毛布が頬に当たってもぞわりとするくらい、肌がはだかという感じだった。その理容店も看板を下ろしてしまってしばらくになる。

 

  1平米の土地で野菜を育てる記事は、けっこう面白かった。

 

冷え込んで、少し温かくなる

 東京は、20日まで気温が低めで、21日には最高気温がプラスの2桁を超えるようだ。そして、週末は、南岸低気圧が降らせる雨で、それが上がれば、来週もほどほどに温かい一月下旬のようだ。

 生活そのものは、届くものをあれこれ割烹してなんとかしのいで、朝になれば起きて、深夜に眠ることの何百何千という繰り返しで、順調に老いを重ねている。わたしは、ほぼ日の5年手帳にも日記をつけていて、それが2018年に始まっていま4年目なので、どのページにも過去3年分の記録が残されている。毎日の出来事のうち、なにか詳しく書いておきたいようなことは、ほぼ日のオリジナルという1日1ページの日記に書く。5年手帳に残すのは、そのオリジナルに書いたことの概要だったり、まったく関係のない贈答の心覚えだったりする。

 わたしの日記は、必要なことをあとでどうにか思い出せる程度の濃さしかとどめていない。万年筆でしたためられた文字の表面が、経時に従って褪色していくように、自分で書いた事柄の詳細さえそれを思い出せる深度がだんだん小さくなっていく。わたしが生きていて読み返す限りは、どうにか意味のある日記帳である。

 

  最新号ではなくなったけれど、最近、購入した。朝、450mlくらい、コーヒーを淹れておいて、それで一日の分がだいたい足りる。

睡眠の善し悪し、深さや長さ

 眠れなくて苦しい、というアノニマスダイアリーを読んだ。たぶん、比較的若い人が書いたものだろう。ブックマークでtipsを書こうとしたが、ご当人が薬をのむことについてあまりよい感じをもっていないようなので、やめた。わたしは、何科のお医者さんに処方してもらうにせよ、薬で眠ることにまったく抵抗感をもっていないので、眠れないときの解決法は、体質に合う薬をみつけること一択ではないかと考えるのだ。

 眠れない状態が数週間続くと、こころはだんだん疲れを溜めていく。おかしなもので、眠れないということ自体に罪悪感をもつようになる。眠れない自分に引け目を感じる劣等感も生まれ、休めていない身体もつらいものだから、いろんなことが楽しくなくなる。楽しかったことがつらく感じられるようにさえなる。

 そういうとき、薬をつかって眠るのは、けっしてずるいことではない。怪我をしたときに患部を消毒して抗生剤をのみ、あたまが痛いときに鎮痛剤をのむ、それと同じことだ。問題は、なにが自分に効くのか、それも適当な効き目でもって作用するのかである。

 わたしは、いろいろな薬が効きにくい。睡眠導入剤といわれるものも幾つか出されたものの、寝たのかどうかわからずに朝を迎えたりした。不眠はわたしの人生に突如現れたり長らく旅に出て姿を隠したりしていたので、これならなんとかというものに行き当たるまで、かなりの年月を要した。

 半減期6時間の薬で眠るのは、わたしにとって、必要以上に身体を痛め付けないための予防策であり、不安な要素を抱えながら日々をなんとか生き抜くための弥縫策を兼ねている。冒頭に挙げた増田さんが、いかなる方法に拠るにせよ、静かに眠れる夜を迎えらればよいと願う。

 

  去年のうちに買った茶葉を熱湯で淹れながら、知らず知らずに懐かしい歌を口ずさんでいた。