ぴょん記

上古文学、外国語、数学、調理、編みもの、縫いもの、競争法

目覚まし掛けてなかった/焼き餅

 平日の朝はたいてい目覚ましの音楽が鳴り始めるより早く起きて、iPadの目覚まし設定を解除する。このごろはずっと「くちばしにキッス」という、ヲタ風味の漂う、ペンギンの「ごはん、ごはん」という食に対する魂の叫びを手際よくまとめた曲を目覚ましの音楽にしている。

 

くちばしにキッス

くちばしにキッス

  • EDO-CCO
  • J-Pop
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes

 昨日の朝、目覚ましを未然に止めて台所に行き、夜もそのままかけ忘れて寝てしまったようだ。今朝、早朝の4時半に手洗いに起きて寝床に戻り、iPadをぎゅうと抱きしめて、たまにホームボタンを押して時刻を確かめながらうつらうつらして、何度目かに同じことをしたら、ちょうど起きるべき時刻だった。

 なまこもちを焼いてシチューを温め直したり、今日の朝餉は、標準的なパンとコーヒーに卵、ヨーグルトとはやや趣向が異なる。漬け魚でもパンでも餅でもレンジのグリルで焼くものだから、餅をつけるときはなにより心の余裕がないと困るのだ。余裕がないと餅が焦げる。今朝のは、かの小豆粥ではないから、あまり焦がさないほうがよいので(とはいえ、小豆がけっこうたくさんあるので、作ろう、小豆粥。)。

togetter.com

 「餅は乞食に焼かせろ、魚は殿様に焼かせろ」とか、「餅の千返し、魚の一返し」など、炙り物の代表として、餅と魚がよく取り上げられる。乞食も殿様も炙り物などしないだろうし、餅もさすがに千回ひっくり返しているうちには炭になるだろうにと、幼時は、漠然と寝ぼけた頭で考えていた。お口返しをすると叱られるのでいわなかったけど。

 そうそう、前日に残った巻き寿司の切り口が少し乾いてきたのを少し焦がすくらいに温めて食べるのはおいしい。それとはおそらくまったく異なる感じだろうけど、京都の蒸し寿司もそれはそれとしてきっとすごくおいしいに違いない。役割を果たした酢の残り香とか。

誰がための美なりや

 いろいろあったので、15年前くらいから、現代社会における美容とか美粧とか美しいいでたちというものは、陸戦兵士の装備やスキルとパラレルに語られるたぐいに属すると思うようになった。そして、わたし個人は、もう装うこときれいにすることにすっかり倦んでしまったので、美しさが武器になる、そして美しくないことが弱点となるユニットには、はじめから参加しないように心掛けている。平たくいえば、もはや同性の視線ですら、しばらくは、いや、できればずっと、ご遠慮申し上げたいくらいに。

 きのう、Amazon Primeの読み放題で、雑誌クロワッサンの美容特集を読んだ。下のリンクは、AmazonKindleでの当該号がきちんと表示されないので、やむをえず楽天市場のを貼っている。誌面は上品なのに、 「きれいに」、そして、「若く」見られたいという読者の欲望と、「売りたい」というメーカーの願望が丁々発止の掛け合いを演じていて、なかなか読み応えがあった。ただし、「美容」当事者として読むには、かなりかたはらいたい箇所がみられた。やはり、わたしは、ここでも脱落組だ。

心ときめきするもの

(中略)

頭洗ひ化粧じて、香にしみたる衣著たる。殊に見る人なき所にても、心のうちはなほをかし。

 

枕草子』第29段から 

 米の研ぎ汁を使って洗い、櫛を通しながら美男葛の煮つめたので艶出しをしたという当時の髪洗いは、洗ってから乾き上がるまで半日を要する作業だったという。それが終わってから顔を作って、よく香をたきしめた衣装を身につけて、これから身分の高い人の前に出るわけでも、恋人に会うわけでもないけれど、昂揚した気分になる、と千年前の佳人たちは語ったという。

 そこは、少し共感するわ。

 

有島武郎『カインの末裔』

 再読のようだ。同じ作者の『お末の死』でも、こどもや赤ん坊が死ぬが、「カイン」でも、死ぬ。赤痢で。山本周五郎『季節のない街』では、節倹に努めた働き者の一家が、三姉妹と母親すべて数年のうちに亡くなる。結核や心臓疾患が原因だが、過労と栄養失調が彼女たちの死を早めたのはほぼ確実だ。

 「カイン」は、圧倒的な暴威をふるう胆振地方の自然のもと、強欲な農場主や彼に隷属する小作人たちに対して、こちらも相当に個性的な主人公が昂然と抗おうとする。彼は、働くことは働く。いや、むしろ他人の2倍、3倍働くのだが、妻につらくあたり、隣家の主婦と通じ、大酒をのみ、博打に耽溺し、なにかというと拳で解決しようとする。子を失い、傷ついた馬を手に掛け、農場を追われて出て行く夫婦ふたり、はたして安息の地を見出したのか。

 日曜日は、留守番だったので、冷蔵庫の前あたりの堆積物を仕分けして処分した。70リットルのごみ袋に2つと段ボール箱がたくさん。夜のうちに集積所にもって降りたかったけど、夜は物騒なので朝まで待った。

 

質素な暮らしと貧民窟の明け暮れ

 昨日も青空文庫で読んでいた、山本周五郎『季節のない街』は、作家が市井に取材して、都会の中の幾つかの貧しい人たちの暮らしを写し取ったものだとあとがきにあった。

 山の手と下町の区別にいう下町ではなく、不安定な仕事で稼いだ比較的少額の収入で生計を立てる人たちが住む、「街」。途中、「風流譚」という語が2つの場面で現れて、これは猥談のことなのだろうなとぼんやり考えた。風紀の紊乱はそこかしこにみられる。

 必要に迫られて、隣近所から小皿に一盛りの塩や醤油を借りる、または、自分のうちに不足がないときにも、あえて相手に優越感を抱かせるために米や味噌を借りるという行いが繰り返される。虚栄、底がすぐ割れる嘘、そういうものにもときには見て見ぬふりをして遣り過ごす、貧民窟、あるいは、細民街の、敗戦直後から東京オリンピック開催前後までのばらばらな出来事が、この作品の中にはなぜかうまくひとつところに収められている。

 たまたま都会の端で起こったこととされているけれども、この小説にある貧寒は、たぶん、東京オリンピックが終わってもしばらくの間は至るところにある平凡な日本の家庭のそこかしこで見られたことだろうし、ことによると、わたしの小遣いなども面と向かって指摘されないだけで、余人の目にはシミシミしたものに映っているのかもしれない。

眠くて堪らない冬の日

 また薬に中ってしまったのかもしれない。もちろん、寒いのもある。おでんを炊いていた大きい鍋を空にして洗い、パンチングのザルと陶器の蒸し皿をセットして饅頭をふかして朝餉に出したら早くも眠くて眠くて。金曜に封を切ったイノダコーヒのアラビアの真珠もよいお味だったけど、十分の睡眠もほどほどのカフェインもこの冬場の眠気には敵わない。

 そして、山本周五郎の描き出す新たな世界への旅。とても魅力的な原田甲斐という人物を丹念に活写した同じ筆で、俗なこと極まりない、気の毒で愛しい市井の人々をひとりひとり丁寧に紹介している。

おでん煮る煮る木曜日

 年末年始の食料調達を計画的に行ったつもりだったのに、なぜか大根が2本ほど「す」が入る直前までの比較的長期にわたって滞留していた。それを水曜は人参と一緒に1本の半分、ポトフらしく煮て、残りを木曜の朝から大鍋でおでんに仕立てた。蒟蒻も、いつもの1枚を6分割を8分割にしてしおらしく1枚だけ使っていたけれど、途中からどうにも少ないと気付いてもう1枚、8分割にして鍋に参加させる。卵も5個。

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これに厚揚げ2枚と餅袋が加わる

 写真は、煮始めて1時間経たないころなので、大根の色も淡い。これに薄口醤油を回しかけ、最後の仕上げで濃口醤油も大さじ2ほど香りづけのつもりで加える。すると、やっと大根がいい色になる。

 鍋の底には日高昆布の15センチくらいのを敷いて、これに水2リットル弱と一度軽く茹でた大根を入れて、弱火で加熱しながら具や調味料を足していく。日高昆布は、年末に佐藤水産で90gで税込1600円のを買った。これが今年の年末まである。というのは、ふだんの出汁は昆布や鯖、煎り子の削り節が紙パックに入ったのや、もっと簡易に液体や顆粒になっているものを用いるので、昆布は大根を大量に煮るおでんのようなものでないと出番がないからだ。

 この昆布とは、3日目ぐらいにくたくたに煮られた姿で再会する。それを菜箸や料理鋏で切っておかずにするのもおいしい。

 写真の真ん中に出汁の紙パックが浮かんでいるのは、この「魚屋さんのおでんセット」には、どれにも出汁の紙パックと調味料の小袋が付いているからで、入っているものはどれもありがたく使わせてもらうことにしている。

 

S&B お徳用 ねりからし 175g

S&B お徳用 ねりからし 175g

 

  大きな練りからしのチューブがあると、ポテトサラダなどにも遠慮なく加えられるので心強い。

 

 青空文庫で、山本周五郎『樅ノ木は残った』を読み終わった。羽海野チカハチミツとクローバー』について、冗談交じりで「いま、ハチクロを再履修しているところ。」などというけれども、樅ノ木も再々履修だ。ずっと世間知らずに生きていると自分のことは思っているけれど、それでも学生のときに読んだとき、次に読んだときとまた違ったものを、この60年前に日本経済新聞に連載された小説から読み取ったと思う。

まだ最初の外遊(しかも香港まで)

 思うところあって、今年は、まんがを読む量を著しく圧縮しようと決めていたのに、昨秋にKindle版を買った『昭和天皇物語』第3巻を読み直してしまった。

 

  作画が『月下の棋士』の能條純一なので、摂政宮就任前の裕仁殿下以外の大人たちの表情が、デフォルメされて怖い。第3巻で特に恐ろしかったのは、長州出身で陸軍及び宮中に隠然たる力を振るい続ける山県有朋。心優しいが病弱な大正天皇を支え、東宮以下の宮たちの教育に心を砕く貞明皇后の挙措も効果線によって勇ましく描かれている。第2巻まで出てきた養育係の「たか」さんは、鈴木貫太郎という海軍の高官のところに後添いとして嫁いでいったので、この巻には出てこない。裕仁親王の御代にやがて起こるテロルや敗戦という大きな出来事に、貫太郎大将とたか刀自は深く関わっていくのだけど、この巻では、いわゆる「宮中某重大事件」と、殿下のはじめての外国訪問が話題の中心だ。

 

  『パレス・メイヂ』本編連載中から感じていたことだけど、作者の久世番子さんは、たぶん近代宮中史の本など、たくさん楽しんで調べられていたのだろう。この短編も後味の爽やかな仕上がりで、とても好き。