ぴょん記

こつこつ憶える

何回目かの札幌

 北海道へ渡るのはこれで7度目。日曜日は、ひとりで札幌市内をぶらぶら歩く。札幌市電の内回りに乗っているうちに、車内の人の動きかたに一定の法則性があることに気付いた。これとは別の公共交通機関の乗りこなしかたの流儀に、京都市内や奈良市内の路線バスでの優先席について気付いたことがあるけれど、ここでは書かない。初秋の陽も浴びたし、野菜も少し手に入れたので、早めに宿に帰って昼寝。

歴史のメモの続き

 きのう、日本版ウィキペディアの白壁王の項(正確には、「光仁天皇」の頁。)を読んでいて、その生年月日が和銅2年10月13日(709年11月18日)であることを知り、それなのに、御母である紀橡姫が同じ日本版ウィキペディアの自身の項では、王の出生に先立つ、同じく和銅2年9月14日(709年10月21日)に薨去したとされていることに気がついた。生母の亡くなった日から日を隔てて子が生まれることは現代の生殖医療のもとにおいてもやや考えにくい。紀橡姫の没年月日のデータが採取された一次資料は、いったい。歴史学を学んだ人ならばああこれはおそらく、と推測できるようなことかもしれないけど、わたしにはわからない。

 さて、ともかく、この出生のたぶん直後に母親を亡くした白壁王は、8歳で父親志貴皇子とも死別する。聖武天皇、その娘の孝謙称徳天皇重祚)が天武系の血筋の帝であったのを、天智天皇の子である志貴皇子の子・白壁王が継ぐことで、今日まで、天武天皇の血筋が皇位に就くようになった。さらに、白壁王が光仁天皇となったのち、その御位を高野新笠という百済系の母をもつ山部親王が受け継ぎ、桓武天皇となった蔭に、光仁天皇の嫡妻嫡子である井上皇后と

他戸親王の廃后廃太子という「悲劇」があった。井上皇后は、天武系の聖武天皇の娘であるから、他戸親王が帝になっていれば、彼は、天智系と天武系を再び合流させた天皇になっていたはずである。それをあえて廃立して、百済系の血を引く山部親王を皇太子に据え治したのは、誰なのか、そしてその目的はなんだったのかについては、たくさんの論考があるのだろう、おそらく。ただ、目下、わたしが気になるのは、白壁王と井上内親王の間に、他戸親王の同母姉として生まれた酒人内親王という女性のことだ。彼女は、母と弟が父を呪詛したとされて庶人に落とされ、幽閉されるという大きな不幸のなか、伊勢斎宮に卜定されて、潔斎を経て、伊勢へと下向する。そして、母と弟の死により斎宮を退下して都へ戻ってくるわけだが、そのあとで酒人内親王は、母弟の死に因縁の深い異母兄・山部親王の妃になる。後に桓武天皇となった夫は、この17才下の妻をもっとも寵愛したとウィキにはあるが。

 

美貌の女帝

美貌の女帝

 

 

 

檀林皇后私譜 (上) (中公文庫)

檀林皇后私譜 (上) (中公文庫)

 

 

 

檀林皇后私譜 (下) (中公文庫)

檀林皇后私譜 (下) (中公文庫)

 

 

六国史の第二

 このたびのかしこきあたりの私的なご旅行先として、高麗神社が選ばれたとのこと。さて、桓武帝の母君の贈太皇太后高野新笠について、当初、皇位を継ぐ見込みは薄いとみられていた白壁王の宮人であったこと、白壁王が光仁帝として即位した際の皇后は聖武帝の娘の井上内親王であったけれど、彼女の所生の他戸親王を廃立するために、井上皇后は他戸親王もろとも庶人に落とされたこと、そのほかにもこの女性の周辺では混迷の奈良時代後期らしく、なかなかたいへんなことが連続して起こっている。高野新笠の生んだ山部親王がのちの桓武帝で、他戸親王廃立後に皇太子に立てられるのだが、その生母の高野新笠は皇后にはならなかった。高野新笠は、たしかに百済武寧王の子孫ではあるが、もとの姓を和史(やまとのふひと)といい、すでに帰化して久しい一族の出身であった。この娘が、宮人として白壁王に奉仕しているうちに子をなし、その子のひとりが平安遷都という大業をなしとげる帝王に育つ過程は、NHK大河ドラマにはならないだろうけど、単発の4Kドラマで観たいような気がする。

 

続日本紀(上) 全現代語訳 (講談社学術文庫)

続日本紀(上) 全現代語訳 (講談社学術文庫)

 

 

 

六国史―日本書紀に始まる古代の「正史」 (中公新書)

六国史―日本書紀に始まる古代の「正史」 (中公新書)

 

 

春雨サラダ

 練り辛子のチューブのハコに「春雨サラダに本品を加えると旨い」という意味のプリントが施されていた。そこで、先週のはじめに、マロニーちゃん(商品名)とスライス木耳を注文したけれど、なんとなく面倒になって調理は後回しになっていた。春雨サラダのほかの主要な材料である胡瓜とハムと卵は、サンドイッチやハムエッグに用いるためにたいていは冷蔵庫に入っている。あとはやる気さえ起これば春雨サラダはできる、と思っていたけれど、必ずしもそういうわけでもなかった。マロニーちゃんとスライス木耳は、密封された袋に入った乾物なので五日十日の単位で傷む性質のものではなく、それだけに先送りされやすい食料品、そして、気付いたときには消費期限を大きく過ごしがちな代物である。

 夕餉のあとのおかずは、ピーマンと万願寺甘とうを刻んで上豚こま肉と胡椒で炒めたのと、コールスローとメンチカツ。あとのひと皿は、コンビニエンスストアにコピーにいく人に買ってきてもらった。

 今朝は、ホットケーキを焼いた。いま思い出したけど、西光亭のリスのクッキーが埋まっていた粉糖をホットケーキにまぶせばよかった。

西光亭 / TOPページ

 

 

色兼ネル 4 (花とゆめコミックス)

色兼ネル 4 (花とゆめコミックス)

 

  関東大震災が起こった直後の、名古屋が舞台。題材が興味深く、わくわくする。待望のKindle化、が、気がついたらされていた案件。

 

南瓜を煮る

 南瓜は堅い。だから、広い切断面をまな板に接して置いて、急がずにそろそろと分割していく。堅いものを立て続けに割っていくと腕が疲れるので、外皮の周りだけでも面取りしながら割っていくとよい。大きなフライパンに水を張って、薄めに切った人参と凍ったままの鶏の唐揚げ用のモモ肉を弱火で温め始める。ここに面取りを済ませた南瓜が順次加わる。はじめのほうの南瓜は心持ち大きい。終わりのほうはやや小さい。フライパンの中はだんだん温められていく。じゃがいもも2つ3つ皮を剥いて小さめに切って入れる。ここから中火。5分ほど炊いて、そこで砂糖。また3分ほどして、濃口しょうゆ。調味料は砂糖と濃口しょうゆだけ。のこり7分はやや強めの中火で、南瓜に火が通ったのを確認して蓋をして蒸らす。万願寺甘とうは、斜めに切って別のフライパンで炒って、煮物を皿に盛る際に散らす。

 ごはんのおかずに南瓜やいもを食べていると、糖質云々とはいうけれど、ふつうの食事といったら煮た野菜がおかずだったのだのだなあとふと「思い出す」。

 

Hanako (ハナコ) 2017年 9月28日号 No.1141 [ひみつの京都。] [雑誌]

Hanako (ハナコ) 2017年 9月28日号 No.1141 [ひみつの京都。] [雑誌]

 

  ところで、たまにいく京都という街とのほぼほぼ「ただしい」つきあいかたとは?

ゆうべのやきそば

 人参などを細めにおろす、板状の調理器がある。それを用いて拵える代表的な調理例が、まぐろ油漬け缶詰のTV-CMにも出てくる「人参しりしり」。これで、人参の中1本の3分の1ほどを削る。そして、フライパンに沸かした少しの湯でさっと茹でる。

 万願寺甘とうがらしは、2本を斜めに切る。種も一緒に食べる。

 豚肉は、200gほど。一口大に切る。

 豚肉を塩と胡椒で炒める。だいたい火が通ったら皿に取る。

 またフライパンに湯を沸かして、一口大に切ったキャベツ半個を塩で茹でる。人参、豚肉、キャベツをそれぞれ調理しておくのは、いちばんあとで煮るインスタント焼きそばに混ぜたとき、味の偏りを均すことだけに集中するためである。生の部分は予めなくしておく。

 日清の平たい袋麺は、通常量の1.5倍というから、2個で通常の3袋分。これをお湯で戻しながらだんだん焼きそばにしていくうちにこれに肉野菜を加えたものをはたしてたったふたりの家族で平らげられるのかはなはだ懐疑的になるのだけど、だいじょうぶ、なぜか朝にはフライパンは空になっている。

 

 

  ソース焼きそばにマヨネーズはいらないけど、途中から削り節があると食べやすく感じます。