ぴょん記

上古文学、外国語、数学、調理、編みもの、縫いもの、競争法

選択肢のある仕合わせ

 10年ほど前、ある先生の経済法の授業で、食品流通に関しては、中規模の地域密着型の小売りチェーンが幾つも競争している状態が好ましいのではないかということを聴いた。現在のようなイオン一強、あるいは他社との寡占状態では、買い手として圧倒的に有力な者が、自分の決めた値段でもって品物を買い入れたのち、今度は売り手として望んだ価格で消費者に食品を販売することになり、価格も品質も磨き込まれない。質量ともにそれほどでもない品物をけっこうな金額で買わされることに、消費者は馴らされていく。

 少々の飛躍が許されるならば、こうもいえる。十分な圧力を伴わない競争しか存在しない市場では、物と役務が適正な対価でもって取引されないので、畢竟、富の偏在と周辺への歪みが生じる。周辺の歪みとは、すなわち、ちゃんと働いているのにもかかわらず、新鮮な食品が高価なために、健康を維持するに足りる栄養を確保できない階層の生成などが例として挙げられよう。元気で働き続けるために必要な物と役務の対価は高止まりなのに、自分の収入は、それを購うのに十分ではない。だから、次善の策として、ほどほどの値段の食品を買い入れて、具合が悪くなってもすぐには薬局やクリニックへはいかずに様子を見たりする。それが普通の人の、いわゆる人並みの暮らしだと信じて、ことさら惨めにも感じることなく日々を過ごしていく。……というのが、わたしが実際によく知っている人たちの現実の暮らしで、『どうして普段の生活でより安全らしい、少し高めの食品を選ばずに、「セツヤク」する一方で、高校に入学した娘に某モノグラムのブランドのハンドバッグを買って与えたりするのか。』などといってもはじまらない。入学や新成人、結婚のように人生の門出とされるときに、褻のつましい暮らしぶりからは思いもよらないような高額消費を行うのは、まあなんていうか、しかたない。それをしたいという人を止める手立ては殆どない。

 とはいえ、その褻の生活の中では、せめて旬の魚の一切れ、蔬菜の一把くらい、栄養価があって新鮮で、しかも適正な価格で毎日買い求めたいというのが人情で、だけど、うちのあたりでは、肉も魚も、結局、イオンが一番品揃えが豊富で、まあまあ新しいということになってしまうのだなあ。

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昼飯は気がついたらこれ一袋ということも