家風と大袈裟にいうより、家族の空気についてのことではあろうが、このところ、ちょっとした異文化体験をした。
幼時、わたしの実家では、誰かが5分以上人前で継続して泣いていることは、たえてなかった。父が泣いてどうにかなるかと甘えるなと叱り、来客など外の人がいようものなら母が二の腕など抓るので、そうした二次被害を避けるためにも、少なくとも、わたしは、安心して泣いてなどはいられなかった。
「つらい」「いたい」も、どんな理由で不調が発生しているのか、親に伝えたあとは、それなりの対処をしているのだからといって、何度も「つらい」「いたい」とは、いわないようにいわれていた。
学校に行くようになると、泣いたりつらさや痛みを口にしたりすることは、別の危険から避けるべきものになった。泣いたりするのは弱みに通じる。弱みは、新たなる攻撃を引き出す。少女の涙は、ときとして武器にもなるが、それは、美少女の場合に限る。
「月経の経血が多くてきつい。」「あたまが痛くてたまらない。」
そういうのも、同性の同級生にすら滅多に漏らさなかった。言ってどうなるというのもあるし、ナロン錠をぺろっと2錠飲み下せばやり過ごせる程度だったからだ。
それもなかなか異常な話ではあると思うけれども。
それが今回、詳細は述べないが、ご本人が起きている間、ほぼ3分ごとに、体の状態、主に不調を訴えるおひと(ちなみに、体の自由は完全に確保されている。)と約1週間寝食をともにした。ひとりごとというよりは、こちらのリプライを求める感じの愁訴。ご自宅でご家族と長らくお暮らしだったので、「いたい」「つらい」「お水がほしい」等には、きっと全部にではないにせよ、ご家族の愛情のこもった反応が与えられてきたのだろう。それから、たぶん、お友達からも。
まあ、そういう人生も。うらやましいかというと、どうだろうか。
わたしは、他人に対する同情がきわめて薄いほうだけど、ご本人の治療のためにどうしても生じる不快感のために起こる呻き声が非常に頻回ならば、こりゃもうはやく誰かなんとかしてやれやという気分になる。
さて。たとえわたしが寝ていたとしても愁訴は続くので、どこまでもお付き合いすることもできかねてそのまま寝ていたら、そういう態度も含めて不服だったのだろう、けっこうな騒ぎになった。それでも、わたしは、なんとそのまま寝ていた。連日の検査がきついのと、原病の再燃を抑えるための服薬とで、実際、くたくた。
看護は、病院のスタッフのお仕事だからね。
自分で自分の身を守るというのは、現代の日本の、すぐれて近代化された病院の入院病棟の中では、ほとんど必要なスキルではないと思われがちだけど、実際、あんまり「いい人」にならなくてもよいのですよ。