ぴょん記

こつこつ憶える

器量の大小とか

 『ダウントン・アビー』という英米合作のテレビシリーズを続けて観ていると、仕えられる側であるクローリー一族と、仕える側の執事以下の人々と、はっきり世界が分かれているようで、そうとも限らないことがわかっていく。たとえば、伯爵の三女と結婚した元の運転手が領地の管理人を兼ねて上の階の住人になっている。それから、従者や侍女といった伯爵家の一族の身近に接する使用人ともなれば、孤独になりがちな貴族の側近として大小の相談に与る機会も増える。今回は、その下の階から上の階に移った元運転手の不用心を、かつては同じ使用人仲間だった副執事が間接的に咎める、はっきりいえば、元運転手の亡くなった奥さんである三女のシビルを鍾愛してやまない伯爵にいやらしく讒言してしまうというもの。この副執事は、日本でいえば大正末期の、いまだ同性愛が刑法上の犯罪だったイギリスの、しかも貴族の屋敷で同性愛関係のトラブルを起こしてそれを庇われた履歴があるのに、他人の情愛や幸せに非常に冷淡。そういうキャラクター設定なのだろうけど、おもしろいのは、「わたし」が、こういう人について、ひどいとかきらいとかいうのではなく、こういうふうにいい年をしていろいろ意地悪の種を播くことおさおさ怠らぬのは、まあむりもないことであるなあと頷いていること。苦労をしたからといって、ベイツさんみたいになる人もあれば、バローさんのようになる人もいると思います。

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