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ぴょん記

まじめにはたらく

お預かりしてます

 十分に大きくなってから何度か月単位の入院をしたので、入院期間中、ありがたいことにもよろこばしくないことにも幾つか遭遇した。あるとき、病棟内で新聞を広げていたら、いつのまにか外貌から80歳少し手前くらいと思われる小柄な平服の男性が隣りに座っていた。わたしが腰を下ろしていたのは看護師詰所から誘拐されてきたパイプ椅子で、彼はその近くの低い窓枠に尻を据えていた。ドウモコンニチハと、わたしは挨拶をして、ふたたび新聞に目を落とした。コンニチハに対して返事をしない男性もなんとなく読んでいるようだったその新聞は、朝のうちにわたしが売店で買ってきた私物で、そろそろ読み終わるところだったので、なんならそのまま畳んでパイプ椅子の上に置いていってそのあと彼が読んでもいいわいなあというくらいにそのときは軽く考えていた。

 ともかく内科の慢性疾患の入院患者の一日は長い。結論からいうと、その日の夕方まで、わたしは自分の病室を出るとすぐにそのものいわぬ老齢の男性に捕捉されて、たびたび一緒にいる姿を看護スタッフらによって目撃されることとなった。にこにことにまにまとにやにやを取り混ぜた微妙な笑みを浮かべたまま、男性は、例の窓辺から、談話室、空きはじめた外来の待合室までわたしについてきた。終始、無言で。その彼が、たぶん、同じ病棟に入院している、ちょうど外科手術を受けている人のご家族であろうことは薄々わかっていた。家族の手術といえば、年配の親御さんが患者で、そのお子さんたちが立会人であることがきっと多いだろう。でも、30代40代のお子さんの手術にその親御さんたちが立ち会うことも少なからず考えられる。だから、その後期高齢者とおぼしき男性の娘さんかそれとも奥さんが、ただいま手術を受けているのだろうなとそのときわたしは思っていた(そこは女性専用病棟だった。)。

 その病院の巨大な手術室の近くに設けられた立会人のためのスペースはとても小さかったので、患者さんあたりひとりかふたりの立会人しか残れない。かといって、女の人だらけの病室に、いくら老いたりといえども患者抜きで家族の男性が長く居座ることも出来かねたのだろう。そういういかにも身の置き所のない数時間をかの爺様はわたしに密着することで潰していたのだ。それから、彼の聴力がかなり低いことには、わりと早い時期に気付いた。何回か話しかけたわたしのことばが、聞こえているようには思えなかったので。とはいうものの、家族の誰かが手術を受ける日、高齢で耳の不自由な「お父さん」が、入院病棟で手術室から患者と立会人の戻ってくるのを見ず知らずの中年女のそばで待っているのは、思えばなかなかシュールである。

 病院内ではたらくボランティアスタッフはありがたいものだが、こと個別の患者家族のための院内ボランティアという話となると、なかなかその実現は難しい。病院の中は空調も効いているし医療スタッフも大勢いる。だが、それはあくまでも患者のための資源なのである。たとえば30代夫婦の片方が手術を受けている間、8歳の長女と4歳の長男の世話は誰がみるのかという問題になると、話はもう病院の手の及ぶ範囲を離れてしまう。夫婦のどちらかの親御さんが近くに暮らしていたり、時間の融通が利いてしかも心やすい仲の親戚がいたりすればそれに越したことはないのだが、病気になるのはそういう人的環境に恵まれた人ばかりとは限らない。これはもう、ボランティアではなく、いっそプロとして託児や「託老」を請け負う事業者に任せるのもひとつの選択肢だろう。

 と、そういうことを今朝おもいだした。

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