ぴょん記

お暑うございます。

『蚤と爆弾』

 

新装版 蚤と爆弾 (文春文庫)

新装版 蚤と爆弾 (文春文庫)

 

  吉村昭が昭和40年代前半に世に出していた作品で、もとの名前は、『細菌』。冒頭近く、敵を殲滅するのに、銃砲を以てするのと、病原菌を用いるのと、人間の命を奪う結果は同じではないかとか、戦時下に捕らえた敵の諜報員を斬首等の方法で手に掛けるならいっそ人体実験の対象とするほうがよほど医学の進歩のために役立つのではないかとか、そういう主人公の軍医であり細菌研究者である男の考えが吉村の明晰な筆致で語られる。およそ10年の時間を経て、森村誠一による衝撃的なルポルタージュで扱われた同じ素材とは思えないほど、作品の中の時間は、静かに冷たく進んでいく。

 大きく分けて2回の実戦でこの研究機関で作られたペスト菌をはじめとする病原菌が用いられて相応の「成果」を挙げたことのほか、B29をはるかに凌駕する「富嶽」のこと、およそ9000個が日本の太平洋岸から放たれた風船爆弾が1000個ほど北米大陸に到達し、合衆国の戦時司令部の心胆を寒からしめていたことなど、ほかにもいろいろと勉強になった。

 戦争と人権、とくに自らの生命と健康を守る権利は、真っ正面からぶつかる。ハルピン付近の草原の真ん中に建てられた高層建築物に取り囲まれてまるで谷のように暗かったという収容棟で絶望の余生を送った犠牲者らの遺体は、ソ連侵攻時に戦時犯罪の隠滅のために徹底的に破壊されて、大地へと還されたという。