ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

読ませる文章のもつ力

 上のふたつのツイートで触れているのは、「入学するのにあまり難しいほうではない地方の高等学校を卒業して、実家の近所のコンビニエンスストアでアルバイトをしている20代の女性」であると書き手が自己紹介していたブログのこと。

 『土佐日記』が、赴任先から都へ戻る一行の主である紀貫之がその召し使う女房に仮託して、しかもかな文字で綴ったものであることは中学か高校で習うだろう。その必然があってもなくても、本来の自分から離れて文字を並べるたのしみをわたしたちは古くから識り、そしてそれを読むよろこびを共有してきた。だから、わたしもひとつひとつのブログ主がブログのうちそとで明かす通りのプロフィールを有していなくても驚かない。まして非難などしない。掛かっているお医者さんが医学教育を受けていないのは困るが、ブログ上で主婦を自称する料理好きがじつは専門の板前だとしてもまったく差し支えない。それをいいだすと、わたし、なんの自己紹介もはてなブログに書いていないものね。

 「ひきこもり女子」さんのブログは、ともかく確かにひとつの「読ませるブログ」だったけれども、実は、わたしはそのすべてのエントリに目を通していたわけではない。ときには読むのがつらくなるほどの内容が続いたり、タイトルだけ眺めてこれはわたしには向いていないと思ったり、そうしてパスしたエントリもあるからだ。

 わたしたちブログ読みは、たいていおとなしい。つまり、サイレントだ。そして、自分が少数派の属するかそれとも多数派のひとりであるかにもわりあい無関心だ。40文字100行の制限のあるニフティサーブのホームパーティややや文字数に余裕のあるパティオでぎっしりいいたいことやはっきり書かないけどわかってほしいことの仄めかしを連ね、ミクシィで10のことを100に膨らまして内緒話を続けてきたから、もう自分のことはそれほど書きたくない。もうね、1990年からだから四半世紀よ。だから書くより、読みたい。

 

平安の春 (講談社学術文庫)

平安の春 (講談社学術文庫)