ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

露を抱える芋の葉を掻き分け

 

 一条のおとどのお屋敷に、伊勢どのがまた参って、わたし同様に筑紫どのの頤使に従うようになったのは、若君がお二つのはつなつを迎えられたころだった。上臈女房で年齢もかなり重ねている筈なのに、ご大家の主婦として大勢の家族や使用人の取り回しになれている伊勢どのは、じつにきびきびと働く。せんにお別れしたのは、お方さまやわたしたちがさきの大納言さまのお屋敷にいるころだったから、かれこれいととせぶりぐらいだけど、宮仕えという場からしばらく離れていたとは思わせない気働きや勘のよさだった。

 その伊勢どのが、これは面白いので、と勧めてくれた絵巻物があった。のちに鳥羽僧正のものした鳥獣戯画には及ばぬが、どことのう、狼やうさぎ、鹿に似せた者たちが、それこそ料紙の端からいまにも飛び出してきそうな様で、はげしく右往左往しておる。わたしが、あやうく袴の裾から尻尾を出しかねない勢いでその絵巻を眺めて笑いをかみ殺していたら、やはり因幡どのはこういうのが好きなのじゃなあと伊勢どのも笑った。それは、人を人のままで描くよりも、いっそ獣に似せたほうが、絵巻は面白うございましょう、と、わたしは、つよく云った。人は、悲しいときでも笑ってみせることがございますが、獣は、少なくとも強いて自分の心持ちと反対のことはいたしませんもの、と。これには、伊勢どのは、そうかのう、と小首を傾げられて話はそこでおしまいに。
 しばらくして伊勢どのは、寝殿の東面に住まう、おとどのもうひとりの奥さまである橘姫のもとへお付け替えになった。こちらのお方さまが次のお子さまをお腹に宿されたのと同様に、橘姫もまた、はじめてのお産に臨むことになり、上つ方のお産のときのご奉仕に慣れた者として、伊勢どのが呼ばれたのだと薄々感じられていたことが実感として迫ってきた。わたしは、殆ど東面のほうへは足を向けない。若君と一緒に起き臥しして、乳母たちを褒めたり叱ったり、それで一日が、ひと月が、季節が過ぎていく。たまに局に泊まっていく男たちのないこともないけれど、まあ、あなた、こちらの坊ちゃんが大きくなるまでは物詣でに託けて川縁の別業へもお誘いできないわななどと、むごいことを云って帰っていく。いったい、こちらの坊ちゃんは、いつ大人になることだろう。

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青梅を烹る?