ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

仕合わせも不仕合わせも靄の中だ

 木曜は、まず、抗ヒスタミン剤をのんで、寝る前に持薬をのんだ。金曜の夜は、就寝前にけっこう強いLと持薬をいっしょにのんだ。それまでにも大概寝てばかりだったのに、すとんと眠りの滝壺に落ち込んで、しかし2時間半ほどして目が覚めたので、居間に出ていって、残っていたドーナッツと魚肉ソーセージを食べて、たしか3回目の歯磨きをしてまた横になった。

 このごろ須藤佑実さんの作品を集中的に読んでいるけれど、彼女の作品は、主人公の力強く、かつ繊細な心の歩みと、まったく平仄の合わない無軌道な何かが等価に描かれているところが魅力のひとつである。大学生の女の人が、うろうろしている7歳と6歳の姉弟につきまとわれる連作など、7歳の姉のほうの言動が、たとえ、後々この子がいかなる超常的な能力を発揮して危機に瀕した地球及び人類を救ったとしても、いまこのときの逸脱を見逃してはならないと思う程度にひどい。しつけがなっていないという意味ではなく、人として許されないという方向で、ひどい。そして、その無軌道さや逸脱は、なぜか須藤さんの作品にはたぶん欠けていてはならないものなのだ。

 前に紹介した京都の美人がどうしたこうしたという連作でも、出てくる女の人たちが遠慮深くて淑やかなだけだったら、話がまったく進まない。従姉の身辺情報と引換えに、洋食屋のメニューを片っ端から注文するぐらい、常識を超えていなければならないのだ。

 

  映画『おおかみこどもの雨と雪』と対比するレビューを幾つか見掛けたけれど、どうなんだろうか。