なにげなくツイッターを眺めていたところ、ふだんはほとんど平気でいられる、あるツイートの流れが、なぜにか急に耐えがたく感じられて、しばらくはそれらを見ないでもすむようにした。物理的に抹殺されるわけでなくとも、自分が座る椅子に掛け続けることが耐えがたいような罵詈雑言を投げつけられる恐怖というものを経験したことはなくても一遍も想像したことがない人というのがひたすらにおそろしい。
そして、わたしは、またいつもの堂々巡りに迷い込みそうになるのだ。相手のこころの痛みがわからないでひどいことをするのと、こころの痛みを十分に心得た上で存分に打ち据えるのと、いずれがよりひどいのかという、あれだ。
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