雨続きである。しかし、人間は着替えるし、着替えれば洗い物が出る。
洗濯機を収納しておくスペースの、メタルの扉をほとんど閉めて、仮に「ステーション」と名付け、物干しやハンガーを掛ける。そこに吊した洗濯物を近くに置いたオイルヒーターの熱でゆっくり乾かしている。
少しならば、だいたい一昼夜で乾く。洗うのは、肌着と、長袖のTシャツ、あとはフェイスタオルぐらいのものだから。生乾きと思わない程度の仕上がりで勘弁してもらおう。
あとは、きのうのNHKで見た「鶏肉の治部煮風/付け合わせの焼き蕪」をお昼に出したり、ふだんは食べないお三時として、餅入り善哉を食べたりしていた。
目下、ナワリヌイ氏の奥さんの勇気ある態度とか、ガザ地区南部に望まずに集められた150万人のいのちの行方とか、喫緊の課題がたくさんある。家族をおそらく直接的に政治上の理由で失った遺族はこれまでも多くあったし、大量に生命や健康、財産を毀損された人が出た動乱は数え切れないほど起こってきた。ただ、昨今は、戦場へ赴く兵士が個人のモバイルをもち、戦地から独自に発信することもあれば、封鎖された現場から妨害の間隙をぬって中にいる当人らと話を交わすこともできる。そういう手段があるという意味では、これまでよりもっとましな人間らしさの発露があっていいと思うのに、なぜか殲滅の二文字がしきりに眼の裏に点滅する。
飢えて、死にそうになっているのは、なにもこどもだけじゃない。二十代から百歳代まで、きれいな水と十分な量の食べものを必要としている。