ぴょん記

こつこつ憶える

お風呂に水は張っておきます

 たしかほぼ日のエントリか書籍かで、地震が起きてそのために水道が止まったときのために、お風呂はなるべく水を張った状態を保っておくことが推奨されていた。トイレの排水そのものが用をなさなくなるほどの大きな被害がなく、ただ給水のみが滞っている段階なら、お風呂からバケツで残り湯を汲んできて、都度流せば急場はしのげるものらしい。

 

 そういうわけで、わたしはもう数年間バスタブは使えないけれども残りのひとりが毎日バスタブに浸かるので、うちのバスタブは、掃除の前後の僅かな時間しか空にならない。残り湯を洗濯に使用しないときは、ああもったいないごめんなさいとこころの中で詫びながら水栓を抜くことになるのだが。

 

 お風呂の水面については、以上の通り。

 

 かなり気になっているのは、精米のストックのこと。いまは梅雨時で、精げた米の鮮度はどうしても下がるので、10日ごとに2kgずつネットスーパーで購入しては米櫃で保管している。震災前は長らく近所のお米屋さんにお世話になっていた。

 

 大きな揺れがあった日の翌日(土曜日)、そのお米屋さんで5キロか3キロか米の買いものをした。そのとき、わたしは、店主のおじさんに、これからお買い物にくるお客さんが増えるだろうから精米が追いつかないかもしれないですよと余計なことを言った。ふだん、メガストアでお米を買うのとは違う層(おもに年代的に。)を相手にしているおじさんとしてはまさかあという反応だったが、はたして事態はその通りになり、お米屋さんの店先には、精米がおいつかないので本日の販売は終了しましたという旨の張り紙が午後になると連日出された。コンビニエンスストアからもパンやミネラルウォーターが消えた、夜になると薄暗くなったあの3月4月のことである。

 

 量を多く摂るという贅沢が憚られる気がして、そのお米屋さんで買ったお米をわたしは大事に大事に少しずつ炊いた。食料があって、水と熱を加えて、食事を仕立てられるというありがたさを三半規管がおかしくなる程度の余震の中で噛みしめた。

 

 震災発生から1年ほど経って、食料のストックをある程度かかえ、日常生活の中で余裕をもって次なる災厄に備えようという提案があちこちで行われた。つまり、缶詰でも米でも、供給が一定期間滞ったとしてもうろたえない程度の蓄えを各戸でもって、なんとかごはんを拵えて食べていこうという考えだ。

 

 震災当日、大手町から隅田川と荒川をわたって徒歩で帰ってきた家族が、『東京ガスが止まっている。』と勘違いしたわたしの手によってカセットコンロで炊かれたインスタントラーメンでようやく暖をとりつつ空腹を満たしたように、食事といえば、まず炭水化物だ。これは、米かなにか。それから、たんぱく質。魚の缶詰など。ミネラルやビタミンは、小魚や海藻、乾燥野菜やジュースで。脂肪は、なにやかやについてくるだろう。うちの備蓄では、おそらく大人2人分の2週間各日3食は、なんとかなる。電気が切れて冷蔵庫の中身を半分以上廃棄しなければならなくなったとしても。

 

 でも、米は、このままでは早晩尽きるに違いない。悩ましいところである。

 

 もっとも、2週間、外からの補給なしに過ごすことを余儀なくされた場合、その後に徐々に流通が復旧する保証など、おそらく殆どないだろうけど。