ぴょん記

こつこつ憶える

繋がっているもの離れているもの

 昨日の朝、体調が悪かったからぐるぐる考えたこともそれこそマイナススパイラルだったのか、それともよくないことを延々捏ね回していたから調子を崩してしまったのか、いまだに判断がつかない。あたまと身体の相互作用の存否あるいはあるとしてその強弱のほども。命に関わるものではないといわれてはいるが、余分な電気信号のやりとりが発生すると、その近辺の臓器のみならず、めずらしく頭が痛くなるので、泣きたいくらい苦しくなる。いきとめ、みずのみ、ひやす、とんぷく、じょうみゃくちゅうしゃ、げかしゅじゅつ、と、複数の対処法が用意されてはいるが、このうち、げかしゅじゅつは、現在のすてろいど服用量ではなかなか難しい。なにせ服用量が十分に少なくなるまではと、本来は必要な抜歯術も避けているくらいなのだ。

 

 まま、たとえ「それ」が起きてしまっても、また氷枕で冷やすなり、頓服をのんで眠ってしまうなりすればいいと腹を括って、薄暗いこともどす黒いことも(自分の身体に)遠慮なく気の済むように考えていってもいいものだろうか。

 

 どきどきのことは措くとしても。相手が互換可能でないように、自分も個性あるひとつの人格として、しかもどちらかといえばプラスの感情をもって扱われたいという贅沢が昂じて、小さな判断ミスが重なる。そして、愛されたいという欲求が満たされないとわかるや、わたしはじわじわと不幸な気分になる。ふだんは適当なところで下降傾向に歯止めが掛かるが、たまに年甲斐もなく直滑降ルートに嵌まり込むことが起こり、そうなると、まず家族に迷惑がかかる。

 

 やはり、ものには限度というものがあるのだ、きっと。