ぴょん記

こつこつ憶える

68歳より先まで生きたとして

 だいたい67歳までは働けることになっているらしいので。 

 

本当に悲惨な独り身の最期

配偶者や直系卑属という家族に依存しない高齢期-終末期の生活モデルって、これからは少しも珍しくはないものになる。それをことさら寂しく惨めに過ごす必要はなく尊厳を保ちつつ暮らせるような仕組みが、あ、あれ?

2015/08/20 00:22

 

 いま書いたばかりのはてなブックマークのコメントに補足。高齢期や終末期ではないものの、長期入院を都合3回した折、いわば高齢者の暮らしをシミュレートした。一時のことではあったが、ちょっとした生存の危機が訪れた際、それを電話で告げても、心理学用語でいう「否認」という反応を示した遠方の身内が、おーべるじゅでの食事会や、ちゃりてぃの話ばかりしていて、わたしはいま、やんわりみごろしにされているんだなとしみじみ感じ入ったり。止めても毎日病院に顔を出して個室ならそこで2人室ならデイルームやコーヒーハウスで最低20分は話をしていく配偶者はだんだんくたびれていくし。それもそのはず、約540日(1年6か月)の間に、270日(9か月)、会社が引けてから家に帰るまでに病院に寄り道していたんだから。「家族」は、おおむねそんなふうだったが、わたし自身は、日夜弱っていく足腰のことや、漠然とした徒労感でうちひしがれ、冷たい日向で吹きっさらしにされたように過ごしていた。

 

 歳をとって余生を送る場所で、あのような無為の時間がはてしなく流れるとしたら、それは一種の恩寵であると同時に、拷問であり、また、屈辱ですらあるかもしれない。

 

 テレビやラジオを長時間視聴・聴取する傾向もなく、デイケアサービスで奨められる長寿体操や唱歌斉唱に素直に参加するわけもなく、まったく社交的でもなく、ないない尽くしのわりに、自分の好みだけはほんとうに煩くて。こういう年寄りが、身体の自由が効かなくなったあとも、ほどほどのわがままを確保できる環境って、いまはなかなか見つけられず、小金貯めておくよりほかないのかな。

 

 ブックマークには、「配偶者、直系卑属という家族」と書いたけど、もとより同じような目的をもって組合のように組織をつくって高齢期を乗り切ろうというような「仲間」についても、人的性格の強い結びつきは、実は心許ないと現時点では感じている。そして、物的性格が濃く、財産の分割しづらい最たるものが「国」なのだろうが、その「国」が提供する年金や介護保険さえ、すでに不安なものである。「仲間」や「国」があてにならないとしたら、さて、さて。

 

 

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