ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

ある数十年に及ぶシスターフッド

 4親等の「おばさん」は、父方に4人、母方にひとりの合計5人しかいない。でも、おじさんの配偶者や、父母それぞれのいとこやその配偶者なども「おばさん」「おじさん」と呼ぶので、思いつくだけで「おばさん」の数は軽く10人を超える。

 おばさんたちは、たいてい戦後育ちで、敗戦後しばらく続いたインフラの貧しさや日々の生活のそこかしこにあった欠乏に関する記憶をもっている。それから始まる経済成長の恩恵も多かれ少なかれ享受して、きれいに拵えて結婚式をしたり、こどもの教育に悩んだりもした。いま、彼女たちの多くが還暦を過ぎて早い人は七十代を迎え、その暮らしは、「おばさん」のこどもたちの中では比較的年嵩のわたしにとって、ことばは悪いけれども一種のシュミレーションのように見えることがある。つまりは、老いをどのように生活の中に織り込みつつ、毎日を過ごすかという、生き続けていれば避けられない課題に取り組む先駆者としてわたしは、彼女たちのはなしを聞き、思い出を書き留めている。

 母や叔母と、「おばさん」たちは、たいてい仲がいい。地味で、慎ましく、そして、目下、限られた収入で賄える範囲の生活を送っているために、贅沢な旅行や人目を惹く大宴会など、COVID-19以前からほとんど縁がない。しいていえば、折々の贈答で、といってもたかだか旬果や菓子であるが、これが嵩高くなるのは、同居や近居の子や孫の分まで含めた量を送り合うからだ。

 わたしには、そういう仲のいい同世代の親戚はほとんどいない。早くに一族の住まう土地を離れたこともあり、また、わたしのもともとの性質もあって、父方母方合わせて十何人かいる従姉妹たちの多くとは何十年も顔を合わせていない。地縁と血縁でお互いが深く結び付き、自助共助公助の第二が辛抱強く機能していた旧世代からいわば無縁社会を構成するわたしたちの世代への過渡期に位置する母たちは、旧世代を手厚く世話して見送ったにもかかわらず、いざ老いてみれば自分たちは子からあまりに薄く扱われていると静かに憤りつつ、実は横の人的紐帯にはなんとか恵まれている。少なくとも未だ地方山村部においては。

 そして、やがてそれすら失われた世代の老後がやってくる。