ひとつひとつは、わたしさえこらえていれば済むような生活上の小さな不便だったが、手遅れにならないうちにその幾つかに釘を刺しておくことにした。
なかでも、同居の後期高齢者本人の名義で出す年賀状の準備で、今年は図柄入りの日本郵政の年賀状を買ってくるから、そのあとの図案から宛名書きから自分で行うと、きっかり一月前に約束したのだが、やはり手伝ってほしいと昨夜になっていわれたのは小なりといえども衝撃だった。ここで、「手伝ってほしい」とは、どうぞ図柄と調和する全体の図案を決めて印刷まで済ませてくれ、と翻訳される。これまで、何年も「手伝って」はきたが、さすがに12月に入ってから依頼されたことはなかった。家の東翼でされた依頼を西翼の配偶者の作業場に持ち帰り、ふたりで昼食も抜いて、「ぐぅ!」「ぐうう!」と異音を立てながら、「はがき2024」アプリの力も借り、天橋立のイラストと合わせても違和感のない年賀状を刷り上げた。
甘えといえば甘えなのだけど、約束というものを考えると、わりと倫理的に由々しき問題である。本来ならば、年賀じまいも考えるべき自律性の欠如で、これが生地を遠く離れ、たまの電話と葉書、せいぜい書簡がかつての交友をしのぶよすがの年寄りでなければ、とか考えるのだけど、そうであるならばせめてもう少し前から相談してほしいものである。
短い説教をしてから、冷えた台所に入り、今週も悶々としながら、30個の餃子を包みましたとさ。
大阪王将、近所に店があったから、都合20年くらい通ったのではなかろうか。