ぴょん記

こつこつ憶える

追い縋る技術

『そんなこといわれてどうして怒らなかったの!』と、指摘されることが多々あるのだけど、「そんなこと」が自分の仕事の障害になるようなら怒らずに相手と交渉してなんとかいい具合にもっていくけど、それが仕事にまったく関係のないことなら、この人はこういう考えかたをする人なんだと流して終わりにする。

 なぜそれで終わりにするのか。あなたのいったことやしたことで、わたしは怒っているし、悲しんでいるのですよと告げたところで、相手がわたしに非礼を詫びるかどうかはわからない。また、たとえ詫びられたからといって、わたしが、そういうことをされるとかいわれるとかする前に相手に対して抱いていた、やさしい気持ちを取り戻すかといったら、それについてはかぎりなくネガティブである。

 もちろん、わたし自身もたくさんあやまちをしでかす。かかわるべきでない人にまちがって声を掛けて縁を結び、はじめと途中のエラーが重なってがんじがらめになってはくたくたにしおれる。

 もし、わたしが、相手が自分に対する態度を改めてくれるならそれを受け容れようとしたり、こちらから泣いて縋ってでも相手を引き留めようとしたりするなら、わたしのまわりの景色はいまごろもっと優しかっただろうか。……などと、ショッピングモールのカフェでぼんやり考えていたら、「おかあちゃん」が前に赤ん坊を抱っこして3歳児の手を引き、そのうしろを、荷物をたくさん提げた「おとうちゃん」が5歳児を促しながら歩く家族連れが目の前を横切った。「おとうちゃん」と「おかあちゃん」は、見るからに知的な感じだったが、それと同時に、子らに向ける眼差しがどちらもじつにあたたかで、ああ、これはもうわたしとは別の人種、すばらしいとシャッポを脱ぐしかなかった。