ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

潰れまいとする力

 ネットの知り人のなかに、ここ当分の間、こころの調子がよろしくないという人がいる。自分を生きている甲斐のない者だという。こういうとき、わたしたちの脳裏に浮かぶのは、在五中将の東下りだ。

昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。

伊勢物語・第九段)

 京都から関東地方南部までの交通手段が限られていて、しかも治安も悪い中を、貴族仲間と連れ立って、歌を詠みながらの旅である。業平は50代半ばで亡くなるまでめざましい出世こそしなかったものの、父方母方とも桓武天皇の直系なので身分はとても高い。貴種流離譚の一種として伝わっている数多のエピソードも、結局のところ、雅び男の業平が詠んだと伝えられる歌があったからこそ現代に残った。

 「身をえうなきものに」、つまり、自分はつまらないものだと思ったことが、男がみやこを離れた動機である。もっとも、望むようには位は上がらないし、藤原は威張るし、それにたぶん、そのまま京都にいてはまずいような状況はあるし、で、複合的理由があったとも言われているけれども[要出典]、表向きは自己評価が下がっていてつらいので、彼は、京都を離れることにした。

 いろいろ片付けて羅城の遙か外、不二の山をも越えた向こうへ旅しようと決めたとき、きっと男の意識の少し外側、でもごく近いところに、このままでは終わらないという意地があったと思う。

 こどものころから伊勢物語を繙くたびに、どうしてこのおじさんは伊勢の斎宮とかお后になると決められたお姫様とか、難儀な相手にまで手を出すのかと不思議だった。薬子の変以降、嵯峨系の天皇がつづいて、兄の平城系の子孫は業平が生まれてすぐに臣籍降下してしまった。業平の不羈奔放は、その家系の閉塞した空気の反動だと解釈されることもあるけれども、いったいそのあたりどうなのかしら。

 

応天の門 2 (BUNCH COMICS)

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