ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

ブックマークの延長でメモ

 今朝方どこかで、「対人コミュニケーションに問題を抱える人にとっては、『尊敬されたい』『愛されたい』という欲求を充たすことはなかなか難しい。」という趣旨のコメントを読んだ。

 血縁者だから気遣ってくれる家族たち、仕事として関わろうと務める福祉関係者らは、人交じらいの達者ではない自分の状況を慮ってくれるけれど、その人たちとの関係は、自分が、自身の魅力で獲得したものではない。そこに引け目を感じると。

 ほんとうは、自分は、ひとりぼっちで、これだけ賑やかに友だち同士の笑い声や恋する同士の微笑みに溢れた世界なのに、そこから隔てられて、生きている限り、寂しい。本の中には、テレビの画面には、憧れられたり、喜ばれたりする嬉しさが描かれているのに、実際の自分は、これといった帰属先をもたない。それを自分の目で直接、または、他人のことばや素振りで感じる。人付き合いのスキルのレベルは高くなくても、こころはちゃんとあるから。そして、傷つくことには限りがないから。

 愛や尊敬が得にくいとしたら、別のもので絆を繋いで、「ここ」にいてもいい、むしろ、「ここ」にいなくてはいけないと思うような動機付けと、なによりもまず、「ここ」という場所を作って持続可能な頑丈さを与えなければ。

 

新幹線殺傷事件について発達障害の自分が思うこと - けっこう毛だらけ猫愛だらけ

これだけわかりやすく当事者の視点から綴れるねねさんの能力をわたしはこの社会を形づくる貴重なひとつの部分と思います。発達障害の人が生きづらさを感じて希死念慮を抱いた場合、それは「治療」の対象ではと。

2018/06/13 07:22

 

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お昼はアイス