日本版ウィキペディアで見る限り、今般の金融商品取引法違反被疑事件の渦中の人である自動車製造会社CEOのルーツはレバノンにあり、ブラジルで育ったりフランスで中等高等教育を受けたりしているので、たぶん汎ヨーロッパ的なビジネスワールドの辺縁にして高みに位置するという自己認識なのだろう。だからといってアングロサクソン的なもの、あるいはプロテスタンティズムが、人に穏当に受け取るべきもの以上に獲得して抱え込むことを廉潔に忌避させ、それ以外の文化では素知らぬ顔をして強欲に自らのポケットに他人の分け前をも詰め込む傾向が相対的に強いと指摘するつもりはない。
ただ、東京で年収700万円で長年暮らしていればまさか手を出そうとは思わない、ヨーロッパの古い城が、一帯の土地もろとも7億円で入手できますよと誘いを受けたとき、手元に何十億円かもっていたらふと買ってみようかと思う者もあり、そうすると税金、維持費、年に何回か出掛ける費用、料理、ワイン、人件費と、継続的に金が掛かるものだから、もっと自由になる金がほしいなあという気になるのはむしろ必定。
桁そのものよりも気質が違うのだ。
わたしは、たまにとんかつ定食や、握り鮨が食べられればそれでいい。