ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

ドサ回りに都落ち、むかし業平

 はてなハイクがあったころなら、自分のIDページで気楽にレスポンスすることもできたのだけど、そこはもう消失してしまったので、自分のブログで走り書き。

 『坊ちゃん』を、畑作の真ん中の都から稲作中心の田舎の平野へやってきた異邦人のものがたりとして捉えるのは、「あり」だと思います。明治以来、新時代のエリートは、役人、軍人、学者に教師、技術者まで、最初は、地方の職場に配属され、そこでの勤務成績によって、次第に位を上せて、いずれ東京とはいわないまでも、現在の各高等裁判所、各旧制帝国大学の所在する都市で然るべき地位を得る、という人生のシナリオをそれぞれ胸に抱えていたようです。都を離れて、鄙の地へ移ることを都落ちといい、田舎を転々とすることをドサ回りと腐しつつ、それぞれの土地で、「中央からやってきたエリート」として、給料もそこそこなら土地の名士にも重んじられて、そう悪くはない暮らしぶりだった筈です。

 だけど、漱石『坊ちゃん』は、都会育ちの青年に、田舎の朋輩や子女の、心根のけっして清くも正しくも素直でもないことを予習させました。そして、それは、必ずしも真実ではないのです。少なくとも、唯一無二の真実とはいえません。しかし、そこは、漱石。爾来、累積で、何百万人の青年がその被害に遭ったことでしょう。これは、現代のはなしなのですが、自分は東京近郊で育った、標準語しか喋らない若造なので、内定を得たメーカーの地方の工場に配属されたらば、とりあえずの上司や同僚にはいじめられ、事務職の若い女たちには配偶者候補として仕留められそうになる、と言うてた同級生がおります。いじめられるとしたら、その前提を立てる性格に原因を求めたほうがいいし、会社へは結婚相手を探しにきていると彼が考えていた事務職さんにだって、好みというものがあります。どこの田舎でも、はじめからそんなに身構えて暮らしているときっとつまらないよ、と、田舎育ちのわたしは考えたのですが、どきどきはらはらするのも彼の人生の切符に予め書き込まれたタスクかもしれないので黙っておきました。

 スカイツリーのそばをバスで通過するたびに、業平は、このへんでめぼしい女と情を交わしたのかしらと考えたり考えなかったり。

 取り急ぎ、今晩、現場からは、以上です。

 

坊つちゃん (講談社英語文庫 (8))

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