数年前、わたしはそのように感じ、そして、誰に対しても無答責であることにかつてないほどの解放感を覚えた。そう思うに至ったのは、とても個人的な行き違いが契機であるからここでは書かないけれども(関係者を庇っているわけではなく、詳しく述べないことで自分を守っていることはもとよりお見通しであろうが。)、そのように扱われるならば、いっそのこと自分も楽な身の上を愉しむだけであると、自分に対してさえ無責任で客観的な視線を向けたものである。
そのようなことを思い出したのにも、またきっかけとなる事象があったのだけど、のちに味気ない思いをするのがわかっていて、しかし構わなければならないことに関わって、やはり案の定、砂を噛むような気分に陥るのは、どうしても避けられない場合に限りたいので、わたしは関わらないつもり。