ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

妻と母をつくる場所としての学校

(※うろおぼえメモです。)

 きのう下田歌子のことを書いて思い出したのが、林真理子『ミカドの淑女』のなかの乃木大将の思いだ。日露戦争の激戦下、戦場を囲む地形の険しさ、陸軍内部の統制の乱れ、そして自らの采配の至らなさゆえに、たくさんの兵士とともにふたりの息子を失った彼に、明治天皇は、たくさんの子を授けてやると学習院の院長の席を与えた。その学習院の女学部の部長として下田歌子がおり、皇族や華族を中心とする上流家庭の子女を教育していた。少女たちを優雅に教導する歌子をみて希典は思う。近々皇孫殿下(のちの昭和天皇をはじめとする皇太子の息子たち)をお迎えする学習院の女学部で学ぶ娘たちは、未来の皇后や宮妃の候補者で、その教育もまた、おざなりにはできないのだ、下田の教育ではいけないのだと。これが、萬朝報に連載されたスキャンダル記事の後始末として、下田歌子に非職を仰せつけられる真の理由のように描かれているけれど、そのあたりはどうなのだろう。

 

 

 のちに、秩父宮殿下のお妃になった松平節子は、容保の孫だけど、駐米大使であった父の赴任にしたがってアメリカ合衆国で教育を受け、できれば理系の学問を大学でと望んでいたところをお妃になるために帰国することになったという。戊辰戦争では朝敵として激しい市街戦を闘わざるを得なかった会津の人々は、殿様の孫の姫さまが皇嗣殿下の奥様に迎えられるというので、涙を流して喜んだそうな。それは、そうだろう。

 

 

 

 朝食 パン、ヨーグルト、コーヒー

 昼食 釜寅の鶏飯

 夕食 たぶんカレーうどん、トマトとレタスのサラダ