ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

殺されたくはないので書いておこう

 ここ数日来、ガザ地区から複数の方法でイスラエル領内への派兵が試みられ、また、これに対する報復として、イスラエルからガザ地区内500以上の箇所へ攻撃が行われたという。なかには、イスラエルでの音楽フェスの途中で襲撃を受けて、スクーターに乗せられて人質として連れ去れた男女もいるようだ。この8日と9日、梅小路の公園で音楽祭が行われ、あいにくの雨にはなったけれど、ともかくそんな和やかで軽く昂奮した場所へ武装兵がやってきて、参加者を蹴散らし、ときには戦利品のように連れ帰るなんて、平穏な日常と殺伐とした行動が近すぎてことばを失う。

 パレスチナイスラエルの間の殺し合いは、近現代史的にはシナイ半島へのユダヤ人入植あたりに始まるここ一世紀かそこらの不幸の重なり合いによるものだが、ほんとうをいえば紀元前に遡る、じつに長い因縁話なのだそうだ。双方に言い分があり、その一部は正当なのだろう。

 わたしは、ウクライナの選んだ徹底抗戦という策について、これ以上の死傷者数を上積みすることを避けるために戦闘を止めてはとはいえない苦しさをかつて味わった。ある争いを「どっちもどっちだ」と安易に評価して自分と切り離すのは、処世の態度として便利かもしれないが、いずれ自分が当事者の一方となったとき、そうはいうもののお前だって何もやらなかったわけではないのだから壊した分はきっちり帰責されるよ、という言説になって返ってくる。そのときに多少なりとも理不尽であっても非難を甘受するつもりがあるのなら、「どっちもどっち」で受け流すのは、当座の魂の安寧のために役立つのだろう。当座といっても、30分ぐらいしか保ちそうにはないが。

 それなりの理由があって殺し合いをしてはいるが、きょう明日死ぬ必要もない人たちが横死するのをPodcastのニュース配信経由で、一日観ていた聴いていた。