ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

「みかん」と書いてあるが実は不知火

 滝沢馬琴の『椿説弓張月』には、たしか阿蘇神社の神主の息女の白縫姫という人物が出てきて、のちに主人公為朝の妻室に納まるも、夫の一行の船旅が無事に終わることを願って、嵐の海に身を投じるという悲しい最期を迎える。そののち、琉球王国にたどり着いた為朝は、王国の巨悪に政治的圧迫を加えられていた寧王女(ねいわんにょ)を助け、勧善懲悪の英雄的戦いののち、たぶん王女と再婚したはずである。

 あやふや弓張月はこのくらいにして、このごろ週に何個か、伊予柑や不知火のような大きめの柑橘を週末になると買うようになった。後期高齢者の部屋で半分に割って、自分はぱくぱく平らげ、残りの半分を一房ずつ手渡しで食べさせることもあれば、夜中にひとつ丸ごと、ひとりでむしゃむしゃ食べてしまうこともある。三度の食事で、めしならば50gとかせいぜい70gも食べると、消化器と視床下部の二方面から『もういいからそこでやめておけ』『このまま食べ続ければまたひどいことになるぞ』と警告が出る仕様になっているものだから、1日の摂取カロリーが1000kcalを割り込む日もままある。ほんとうはいけないのだけど、まあ、少なくとも推奨はされていないポテトチップスの小さい袋が136kcalで、それでカロリー不足を補う日もある。空腹というよりは、単純に翌日以降満足に動けなくなるので、フライした芋の薄片や大きな柑橘で熱量を足してかろうじてこの身体を動かしている。食事日記には、「みかん」と書くが、括弧書きして伊予柑だの不知火だのとメモは残してある。

 不知火の頭には小さな帽子が乗っている。同じ木でも特定の地域に生えて実を出荷しているものには、「デコポン」の名が冠せられているという。わたしは、この不知火という不適な字面の甘い柑橘に、夫を再び世に出すために荒れる海に飛び込まざるを得なかった、九州有数の神社のお姫様の白縫という美しい名を擬してみたりもする。

 

 

 

 平岩弓枝さんも東京の大きな神社のお嬢さんにして、日本女子大の卒業生。この現代語訳に美しい美術作品がこれでもかこれでもかと付けられた本で、わたしは、はじめてこの作品に触れました。