ぴょん記

こつこつ憶える

だけどやっぱりひと声かけよう

 

見つかった遺体 不明の男子中学生と確認 NHKニュース

よそのお子さんが夜間に戸外にいるのをみて、煩がられることを承知でどうしたのだの大丈夫だの声を掛けることにまず大人が慣れなければいけないのだろうけどそれだって一歩間違えば不審者扱いの原因になりかねない。

2015/08/22 08:42

 

 まず、大阪府寝屋川市のふたりの被害者とご遺族にお悔やみを申し上げます。商店街のカメラ映像や、アルバムの写真でしかふたりのお顔をみることはなかったけれども、百何十万人ものほかの同級生と同じように無事に成人すべきだったのにと惜しまれます。

 

 川崎の事件に際してすでに話題にのぼったことだけど、今回もきっと中学生の夜間の外出を結果的に許したことになる保護者の責任が指摘されることだろう。でも、百歩ゆずって保護者に過失があったとしても、だからといって、深夜、街を徘徊している中学生が暴力に晒されていいわけではない。夜間に自宅を出た中学生、そういう自由行動を許した保護者、被害者である中学生に何らかの犯罪行為をはたらいたとされる犯人(容疑者?)。では、あの深夜というか早朝、わたしが、例の商店街のカメラの下、座り込んで膝を抱えるふたりの脇を通りかかっていたら。

 

 中学生の2年生後期くらいまでというのは、こどもが急激に辛辣になる時期だ。わたしは、大人げない成人で、なおかつ、無理ならば強いて大人にならずともよいと割り切っている我が儘者なので、こどもの規律違反に対しては、同格のこどもとして対処してきた。教育的目的と手段など考えない。考えたとしても、どうせずれる。だから、同じこどもとして考えたとき、迷惑なことはやめてもらう、それだけだ。

 

 たとえば、わたしのクラスに正当な理由なくして遅刻する受講者に対しては、その遅刻が迷惑である旨、遠慮せずに伝える。授業中に、机の下でこっそり携帯電話でメール打ちをするのも同様である。あるとき、正当な理由なき遅刻や授業中のメール打ちについて、うちの子たちについては叱らないでくださいという不思議な要望をする保護者が3人揃って教室に来た。いえ他のお子さんに対して示しがつくつかないじゃなくてわたしが不快なのでこれからもそう伝え続けます、と言うと3人の保護者はそれぞれのお子さんをやめさせた。なぜかそのときすごく怒られた。塾の経営者にではなくて、その保護者さんらに。でも、遅刻をしても叱らない、メール打ちにも寛容にとの、意に添えないことを残念に思うとは告げたが、わたしもまた、保護者さんらには謝らなかった。

 

 その子らの年頃がちょうど13ないし14で、ちょうど難しい時期だった。小学生のころは、よくよく親しんで和やかに話してもいたのにとやめた当座は寂しい気持ちになったものだった。これは、かなり以前の勤め先での話で、路上でのできごとではないけれど、お子さんを注意することで自分に不利益が降りかかることもままあるということで。

 

 冒頭のはてなブックマークに書いたのは、夜に外で見かけた中学生に、「どうしたの」「どこへいくの」「だいじょうぶ」と声を掛けることで、否定的な反応を示されたり(けっこう本気で傷つくこともある。)、不審者扱いされたり、善意で話しかけた大人が不利益を被ることを慮ったからだ。わたしのような中高年女性ならまだしも、男性ならば、家を出てきた年少者の弱みにつけ込んで何らかの形で搾取しようとの下心を抱いているのではないかとの疑念を生むかもしれない。たとえ、彼が、まっさらの心の持ち主だとしても。

 

 それでも。「家に帰りなさい。」と、大人は見知らぬこどもにいうべきなのである。なんとなれば、自分はこの不完全きわまりない世界で、とにもかくにも大人になるまで生き延びてこられたのだから。