ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

弾けて飛び出す金色の光の粒

 連休ということで、多少、夜更かしをしてもいいことにして、ベッドの中でアマゾンプライムの『誰も知らない』を観た。家の中のWi-Fiが、なぜか深夜になるとなかなか不安定になるので*1、月内制限量までこのごろは滅多に届くことがないポケットWi-Fiもいっしょに寝ることにする。

 同作は、1980年代後半に起こった巣鴨における児童ネグレクト事案をモチーフにしている。そして、その予め解体された家庭の長男役を演じて、のちにカンヌ映画祭において2004年の主演男優賞を日本人で始めて獲得した柳楽優弥の実質的デビュー作でもある。

 はじめのうち、長女のほっそりとした爪先から、家を出て行く前に母親が塗ったネイルがすっかり落ちてほんの少し痕跡をとどめるのみになったところなどで時間の経過が示されたりしている。でもそういった抒情的なんは、はじめのうちだけ。「家庭」が、崩壊へむかう加速度は一定なのだが、雪玉がどんどん膨らむように、こどもたちの精神の荒みは、季節の移り変わりも追いつけないほど速く進行する。直接彼らに接する上階に住む大家の妻も、コンビニエンスストアの店長や店員も、長男をはじめとする子供の身なりの乱れや素行から、薄々は彼らが親に遺棄されているという事情を知りながら、「何もできない」。意思をもって「何もしない」のではなく、はっきりとした根拠なく、「よそのおうちのお子さん」を構って自分が悪者になるのを回避する。それは、コンビニエンスストアの店長が、万引き犯と間違えた長男に、口止め料として与える中華まんに象徴される。店長として、万引きした少年を締め上げるのには、正当な理由がある。しかし、確たる根拠もなく、誤って、誰かを窃盗犯扱いすることは、客商売としてあまりに外聞が悪い。それが親や学校の教師に漏れたら、こんどは店長のほうが非難される。柔らかい肉まんは、それを隠蔽するための懐柔の道具なのである。

 長男には、庇ってくれて、不当な扱いに憤ってコンビニエンスストアに怒鳴り込んでくれる親や教師はいないけれど。

 是枝作品において、困窮の果てにいのちを落とすのは、本作では小さな子で、『万引き家族』においては、樹木希林演ずる老女だった。富貴の暮らしにも、やまいや死は避けられないものであるが、極端に貧しかったり、また、保護する者のいない生活だったりすると、事故を防ぐための仕掛けが目に見えて薄くなる。『万引き家族』の、リリー・フランキー安藤さくら樹木希林がみせた、若く幼いものに向ける無力な者なりに温かい眼差しが、『誰も知らない』では殆ど与えられていない。そこでは、こどもの笑顔がどんどん消えていって、それでも彼らの生命力だけは隠しようもなく輝くのだが、それは、僅かな救いなのか、それとも大人に向けて放たれた強い非難の矢であるのか。

 

 

*1:わたしのベッドの付近だけのことかもしれない。