ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

「都市の空気は自由にする」

 では、大学は?

 現時点で、国立大学法人京都大学の敷地の内外で、立て看板の掲示/撤去と、吉田寮からの立ち退きを巡って、学生さんたちと管理者との間で紛争がある。先日は、車に乗り込もうとする担当理事を、話し合いを求める学生さんらが押しとどめ、警察官の出動が要請されたという。もはや親の世代となったわたしは、まるで自分の子がその場にいるかのように心配なのだが。

 立て看と吉田寮、それらを巡る問題について、まず、学生さんらと管理者側との間で話し合いの場をもつかどうかが争われている。これは保育所の利用に関する争訟と共通するものがあるのだけど、学生さんは、有期の在学者で、数年後には大学との直接の契約関係は終了する。だからこそ、伝統や美風の継承を重視するのだろう。そして、きっと管理者側も、その職責に応じて、大学の業務運営を円滑に行うために粛々と日々の務めを果たしている。

 日本の学生活動、裏返せば大学管理の問題は、1970年あたりを境に湿り気多めなものになってしまって、たとえば『光の雨』という映画や、高村薫の『マークスの山』という小説にもその一端が示されている。理想の追求が行き過ぎてしまって、大勢が殺害されたという事実が、戦争というそれとは桁違いの「死」を経験した世代をもはげしく戦慄させた。そのあとで大学に進んだ世代であるわたしたちは、悪くいえば分断され、ややましに表現すれば個であることを好む、おっとりした学生だった。

 それはさておき、入れ物以外の有機的なよきものが、京都大学にはきっとあるのではないかと、遠いところから事態の望ましい収拾をお祈り申し上げております。

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 そういえば、椎茸、なかった。殲滅されたのか?(立て看に「椎茸殲滅」ってあった。