この住戸は、台所はかろうじて平成っぽいものの、お風呂は昭和中期の仕様で、とくに厳冬期にはガスの容量の関係で熱いお湯の単位時間あたりの供給量が限られるので、夕方に適量のお湯がバスタブに入っているかどうかは、わたしの心掛け次第である。
そもそもわたし自身は、感染予防のために滅多に湯船に入らない。ただし、シャワーだけでお湯を使うとしても、どうしても湯量が少ないので心細く、湯船に張った多めのお湯から洗面器でばしゃばしゃと身体にお湯を掛けて体温を保つ。
実家の風呂を薪で焚いていたころには、外の焚き口の前にブロックを置いて腰を下ろし、父が入浴する前にほどほどまで湯温を高くして、本人がバスタブに入ったと見るや火力が3割増しになるくらいに粗朶やら薪を細く割いたのやら焚き口に差し込んだものである。父、負けずに水道の蛇口をひねってじゃあじゃあうめる。助走がついた風呂釜は、それさえどんどん温める。だから、父が出たあとに入る妹が寒い思いをしなくてもよくなる。
そういう田舎での記憶があるので、心細くお湯を浴びるのは苦手である。この心を見透かしたように、このごろ泊まるホテルはどこも、知らずにつまみを捻れば横っ面を張られるほどに強い水勢で攻めてくる。ありがたいと感じ入りつつ、あれは、きっと、シャワーヘッドに仕掛けがあるのだろうと睨んでいる。だって、洗面所の水は、もう少し穏やかに流れるから。