ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

屋外飲酒の午後

 自宅最寄駅の北側出口の植栽の前などが、区役所土木課の標識類で常時殺風景にふさがれるようになって久しい。まず、地下鉄の地上駅の1階部分で長らく営業していた酒屋がコンビニエンスストアになった。そのコンビニエンスストアには、発泡酒やビール、果汁やソーダでスピリッツ類を割った缶飲料と、酒の肴になりそうな惣菜が並べられている。すると、平日の午前中からでも、駅前の植栽のへりや、場合によっては日差しや雨を避けて通路に直接腰を下ろし、飲酒、喫煙、放談に耽る集団が出現した。多いときで、7、8人以上が固まっているのをみたことがある。早晩、駅の利用者や周辺住民から苦情が出ると思った。誰から苦情が出たか、どのくらい苦情があったかはわからないけれど、しばらくすると、区役所の人が置いた標識類で植栽や通路のちょっとした隙間はぴったりと埋められてしまった。

 夜勤でもないのに午前中の早い時刻から飲酒したい人でも、誰かの自宅や、どこかの飲食店にいる限りは、ほとんど人目につかない。でも、駅前の公共スペースで、人の靴が踏む場所に酒の缶や惣菜の容器を直に置き、毎日のようにアルコール度数9パーセントぐらいの500ml缶を何本も飲んでいると、さすがに個体認識こそされなくても集団としてかなり目立つ。実際に、区役所に苦情の電話をした人の中には、おそらくマンションなどの不動産オーナーもいたことだろう*1。かくして自然発生的に結成された平日路上飲酒会は、予想されたプロセスをたどって解体された。ちなみに、地下鉄運営会社は、駅の敷地内でなければ、たとえば募金詐欺の実行行為がおおっぴらに行われていようとも関知しない姿勢を維持している。

 とにかくここ1年以上、駅の北側出口から集団飲酒の会の人たちは姿を消した。あの人たちはどこかの公園にでもいったのだろうか。いや、酒とつまみの補充が最速1分で完了する立地であったからこそ、彼らのコミュニティは成立したのであって、公園に集う乳幼児を連れた、多くはお母さんである保護者たちに文字通り煙たがられてまでも毎日酒を飲むために集う強固な意志はないだろう、などと考えていた。

 しかし、わたしは、甘かった。

 きのうの夕方、ふだんは行かない最寄駅の南側出口でしばらく人を待っていた。するとまもなく、独特の騒がしさが耳に飛び込んできた。交番のすぐそば、バスロータリーの前に、人が座れる広いスペースがある。そこにどこか見覚えのある彼らはいた。総勢7人ほど。17時前、うだるように暑い日没前の大気の下、いやあまだ飲むぞう、と、呂律の回らないおじさんの大声。もうやめときなよとことばの上では止めながらこちらも素面ではない、女性の嬌声。ああ、なんてことはない。路上飲酒の会は反対側出口でとりあえずの命脈を保っていたのだ。ほっとしたわけでもないし、そもそも好意的な気持ちなど微塵ほどももっていないにもかかわらず、なんとなくなつかしい顔を2、3確認して感慨に堪えなかった。なんて丈夫な肝臓なんだろう、と。

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わたしもスーパーでこういうのを買うのに抵抗は感じない

 

*1:うちの区の他のエリアのひとは、自虐的に自分の住まうあたりを「場末」といったりするが、もちろん他の人にそういわれたら怒る。だから、わたしも、午前10時に酔っ払いが複数名駅前にいるとしても、あえてそれを「場末感を醸成している」などとはいわない。事実、その通りだけど。